Super fiesta 400日墨交流400年―その9―「ビベロ伯爵の日本女性観」

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日墨交流400年―その9―
「ビベロ伯爵の日本女性観」
                           
田中 都紀代、UNAM大学

前号では、ビベロ伯爵の辛口日本男性観を紹介したが、日本女性観はどうであろうか。これが、男性観とは一転して、好感度抜群なのである。それもその筈、日本女性は、ビベロ伯爵一行の命の恩人なのである。1609年、千葉県御宿に漂着した彼たちは、日本女性の献身的行為で一命をとりとめた。彼の「日本見聞記」から、その様子を抜粋してみよう。

「彼らは私達のことを気の毒に思ってくれ、女たちは泣き出すほどであった。日本人は非常に同情心が強いようだ。そして、女たちは、夫の服を私たちに貸してくれた。それは『キモノ』といって、綿でできたものだった。女たちは実に気前良く、私たちにその着物をあてがってくれた」

「彼らの食料である米、大根や茄子などの野菜のほか、村の浜では漁ができないにもかかわらず、魚までしばしばふるまってくれた」とある。この行為から、後日《この村の女達は、自分の体温で、漂流者を直接暖め、救出した》という一段と飛躍した美談??が生まれたほどだから、ビベロ伯爵の日本女性観が悪い筈がない。

また、日本人の妻について、「日本見聞記」で次のように言っている。「日本人の婦人は、スペインの女性と異なり、持参金なしで嫁ぐ。スペインにおいても、持参金制度を廃止できれば幸いである。なぜなら、持参金の額によらず、妻の選択が出来るのは、スペインでも奨励すべき習慣である。多額の持参金を持って嫁いだ婦人は、夫に対して傲慢になり、一方の夫は妻に対し一種の尊敬を表する義務を負う。裕福な婦人ほど耐えがたきものはない。」

「日本では貴族や富者は身分に相応して、50人から60人を超える妾を持つが、第一婦人とその子女は尊敬される。下賎の者は、ただ一人の女を養っている。他は、資力に応じて2人から4人の妾を囲っている者もいるが、婦人がそのことで訴訟を起こす事はない。公娼も制度化されている。」

この見解も、前号で書いたように、ルイス・ソテロ神父の説明に基づく可能性があるが、スペインにおける持参金制度を批判し、持参金制度廃止論を展開しているのには、驚かされる。また、「裕福な婦人ほど耐えがたきものはない。」などは、伯爵の苦労体験かと、勘ぐりたくなる。日本男性は「資力に応じて2人から4人の妾を囲っている者もいるが、婦人がそのことで訴訟を起こす事はない。公娼も制度化されている。」と、どこか羨ましげ、ではないか。

この「婦人がそのことで訴訟を起こす事はない」が、世に言う「大和撫子」の取るべき態度だとしたら、「大和撫子」的女性品種が絶滅の危機にあるのも、無理からぬ事であろう。一方のスペインでは、400年前から妻以外の女性と関係した夫は、妻に訴えられ、アタフタしたようである。

日墨交流400年 ―その10-に続く

著者/田中都紀代    
    
早稲田大学文学部、筑波大学修士課程(日本研究、日本語教師養成プログラム)卒業
メキシコ国立自冶大学博士課程メキシコ史修了
国立国語研究所長期専門研修修了
国際協力事業団、筑波大学修士課程日本語講師、
メキシコ国立自冶大学国際交流基金派遣日本語講師

主な著書に「日本語表現文型 中級I,II,」筑波大学、「日本語会話」国際協力事業団(JICA)、    
「997語で読める日本語」北星堂、「ラテンアメリカ 子どもと社会」新評論社、「バイリンガルになりたい、アナタへ」Artes Graficas Panorama、「China y Japón」edit.Porrúa
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Super fiesta 400日墨交流400年―その8―「ビベロ伯爵の日本男性観」

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日墨交流400年―その8―
「ビベロ伯爵の日本男性観」
                           
田中 都紀代、UNAM大学

前号で、今から400年前、江戸中が、メキシコ人ビベロ伯爵を一目見ようと、ヒーバーしたと書いた。では、一方のビベロ伯爵は当時の日本人をどう見ていたのであろうか。彼の「日本見聞記」から抜粋してみるが、かなりショッキングな内容なので、妊娠中の御婦人、性転換中の男性は、気を確かに持って、読んでいただきたい。

「日本の男性は深酒をする悪い習慣がある。これが他の害に及ぶ。自分の妻だけでは飽き足らず、時には100人を超す女と関係を持つ。そのような女がたくさん存在するのだ」

「日本人は好戦的で、勇敢である。火縄銃を巧みに近い、命中率も良いが、操作は遅い。大砲はあるが保有数が少なく、扱いは稚拙だ。今はどの国とも戦いはしていないが、戦時には、主君の下に一致団結する。かつて大国中国が日本の国力を推し量る為に挑戦してきた時には、日本はその底力を遺憾なく発揮した」

「日本国民は勇敢であるが傲慢である。その理由は、戦場で戦っている姿は勇敢であるが、日常、犯罪を犯して死刑の宣告を受けた場合は、これに服せず、自殺の手段をあえて選ぶ。身分ある者の当然の行為とされている。その現場には、証人として、親戚、友人や武士を招き、己の勇敢を示す為に、神を恐れず、中腹を切る。列席した者も、この野蛮にして獣的行為を賞賛する」

切腹自殺を「神を恐れず、野蛮にして獣的行為」と言っている理由は、キリスト教では、神から授かった命を自ら絶つ自殺は、大罪とされているからで、その上、それを「賞賛する」など、信じられない神への冒涜と、映ったのであろう。これは、人間の道徳的価値観は、時代、信仰により大きく異なるという一例で、ビベロ伯爵が特に日本に悪意があった訳ではない。その証拠に、彼は「もし、神への信仰が存在し、私がスペイン国王の家臣でなかったら、私の祖国はこの国になっていたかもしれない」と言っている。

ここまで書いてきて、ひょっとすると、この観察はビベロ伯爵の実際の体験に基づくものではなく、ルイス・ソテロ神父の説明を受けて述べたのではないか、という気がしてきた。フランシスコ会ルイス・ソテロ神父は、ビベロ伯爵の1609年日本漂着の6年前、1603年に来日、日本語に精通し、ビベロ伯爵の通訳、日西外交交渉協定文の相互翻訳まで依頼された人物である。

彼は神父としての仕事柄、日本語が出来、庶民生活も良く知っていただろう。一方のビベロ伯爵は日本語が出来なかったし、その上、わずか一年足らずの滞在で、スペイン領メキシコの高官として、徳川家康、二大将軍秀忠との外交交渉に多忙であった。とても、日本庶民生活まで観察できなかった、と思うのである。

このルイス・ソテロ神父の生涯は劇的である。詳しいことは、他の機会に譲るが、1613年に伊達藩の支倉常長に同行して、メキシコ、スペインへ向かい、1624年、長崎で火刑ににあい、その峻烈な生涯を閉じた人物である。


日墨交流400年 ―その9-に続く

著者/田中都紀代    
    
早稲田大学文学部、筑波大学修士課程(日本研究、日本語教師養成プログラム)卒業
メキシコ国立自冶大学博士課程メキシコ史修了
国立国語研究所長期専門研修修了
国際協力事業団、筑波大学修士課程日本語講師、
メキシコ国立自冶大学国際交流基金派遣日本語講師

主な著書に「日本語表現文型 中級I,II,」筑波大学、「日本語会話」国際協力事業団(JICA)、    
「997語で読める日本語」北星堂、「ラテンアメリカ 子どもと社会」新評論社、「バイリンガルになりたい、アナタへ」Artes Graficas Panorama、「China y Japón」edit.Porrúa

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Super fiesta 400日墨交流400年―その7―「フィリピン総督のメキシコ人ビベロ伯爵は『大大吉』」

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日墨交流400年―その7― 
「フィリピン総督のメキシコ人ビベロ伯爵は『大大吉』」
田中 都紀代、UNAM大学

前号で、フィリピン総督メキシコ人ビベロ伯爵は日本に漂着した時期が良かったので、「大大吉」を当てた、と書いた。彼の「大大吉」は、千葉県御宿沖に漂着時から始まった。当時の領主は本多家で、ビベロ伯爵一行317人全員に食事を始め、身の回りの物、生活の世話一切を提供し、ビベロ伯爵が恐縮するほどの贈物までしている。この「出血大サービス」は江戸幕府の命もあろうが、日墨交流にかける気合が感じられる。

また、物だけでなく、気配りにも気合が入っていて、ビベロ伯爵を必ず上座に座らせ、行列の先頭を譲っている。その上、当時の決まりでは、難破した船の積荷は幕府の物になるところを、異例の厚遇で、ビベロ伯爵に難破船の積荷全部を返還している。この様な厚遇を受けた後、ビベロ伯爵はいよいよ二代将軍秀忠表敬のため、江戸へと旅だった。

後日、彼の記した「日本見聞記」に、江戸の印象が驚きをもって書かれている。その部分を抜粋すると、「江戸の町は、行政が行き届き、ローマ人のそれと較べても遜色ない。道路網は立派で、スペインの道路事情より優れている(さすが、道路大国日本!スペイン人もビックリ!《古い!筆者蛇足》)。その道路の清潔さは信じられないくらいである。家屋は木造で、外見はスペインの方が立派に見えるが、内部の構造は日本のほうが上である。」などなど、こちらが気恥ずかしくなるくらいの持ち上げようである(夫曰く、アンタが恥ずかしがらんでも良い)。メキシコ人のビベロ伯爵が江戸の印象を、メキシコではなくローマ、スペインと比較しているのは、この「日本見聞記」がスペイン領メキシコの本国、スペイン国王へ宛てた報告レポートであるからで、ローマ、スペインとの比較の方が、スペイン国王に解りやすいと思ったのであろう。

江戸の町へ入ったビベロ伯爵一行は、「冬のソナタ、ヨン様」並みの、規制が必要なほどの大歓迎を受けたそうだ。しかし、彼は謙虚で、自分が「イケメン」だったからではなく、「大勢の人が集まったのは、外国人を見るのが初めてだったし、私たちの風貌や服装が珍しかったから」と分析している(ハイ、そのようです)。しかし、どの時代もスターにプライバシーはない。その様子を「日本見聞記」から抜粋すると、「私達が到着した事が江戸中に広まり、初めの8日間は一瞬たりとも休めず、食事も休息もままならず。要人に会う以外に、家来、町人など一般人がつめかけるので、将軍秀忠の側近に掛け合って、私の許可なく誰も入れないよう門に警護一団を付けてもらった」。

これは、ぴょっとすると、日本初の外国人専用ボディーガードの事例ではないだろうか。いつの時代も人気者には苦労が付き物である。(夫曰く、アンタに苦労がナイのは何故?)


日墨交流400年― その8-に続く

著者/田中都紀代    
    
早稲田大学文学部、筑波大学修士課程(日本研究、日本語教師養成プログラム)卒業
メキシコ国立自冶大学博士課程メキシコ史修了
国立国語研究所長期専門研修修了
国際協力事業団、筑波大学修士課程日本語講師、
メキシコ国立自冶大学国際交流基金派遣日本語講師

主な著書に「日本語表現文型 中級I,II,」筑波大学、「日本語会話」国際協力事業団(JICA)、    
「997語で読める日本語」北星堂、「ラテンアメリカ 子どもと社会」新評論社、「バイリンガルになりたい、アナタへ」Artes Graficas Panorama、「China y Japón」edit.Porrúa

テーマ : メキシコ
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Super fiesta 400 「フィリピン総督のメキシコ人ビベロ伯爵は『大大吉』」

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日墨交流400年―その6― 
「フィリピン総督のメキシコ人ビベロ伯爵は『大大吉』」
著者/田中 都紀代、UNAM大学

前号では、宣教師ザビエルは織田信長時代で幸運、メキシコ人聖フェリペ・デ・へススは豊臣秀吉時代で不運と書いた。では、徳川時代、千葉県御宿沖に漂着したフィリピン総督メキシコ人ロドリゴ・デ・ビベロは幸運、不運のどちらであろうか。順番からいくと、「幸運」であるが、まさに「大大吉」が待っていた。勿論、漂着したのが「大大吉」だったのではない。

まず、彼は宣教師ではなかったので、殉教から聖人にはならなかったが、徳川家から破格の待遇を受け、メキシコ帰国用の船まで用意してもらって、1610年に無事生還。メキシコでは出世を極め、子爵、伯爵の二つの称号を受けるにいたった。72歳で亡くなるまで、バリバリの現役だったという。当時の72歳は長寿だし、メキシコ人聖フェリペ・デ・へスス24歳殉教に較べても、かなりラッキーではないだろうか。

ラッキーに憧れる私としては、「どうして、こうなるの?」と、突っ込みを入れたくなる。答えは、やはり、ロドリゴ・デ・ビベロ伯爵が出会った日本の時期が良かったのである。彼が千葉県御宿沖に漂着した1609年は、1600年関が原の戦いの9年後、1637年長崎「島原の乱」から1639年「鎖国」に至る前の期間である。1637年長崎「島原の乱」以前の江戸幕府は、「鎖国」思考は毛頭なく、むしろ南蛮貿易推進、できればフィリピンを経由しない、メキシコ・日本の二国間直接貿易を希望していたほどである。当然、メキシコ・日本の二国間直接貿易の方が利潤が高いからである。

このビベロ伯爵の漂着は、江戸幕府にとってもラッキーで、伯爵を通して、メキシコのスペイン副王に、江戸幕府の希望を直接伝えられる絶好のチャンスだったに違いない。江戸幕府の希望はそれだけでなく、世界的銀産出国ヌエバ・エスパーニャ(「新スペイン」の意味で、当時のスペイン領メキシコの呼び名)の優秀な精錬技術工を50人ほど日本に送ってほしいと、頼んでいる。当時の日本も銀産出国だったので、技術革新をねらったようである。江戸時代というと、「鎖国」が直ぐ頭に浮かぶが、江戸初期、1637年長崎「島原の乱」以前は、むしろ、海外貿易、先端技術導入型の開かれた国造りに熱心だった事が解る。

この時期にビベロ伯爵が漂着したのだから、江戸幕府が伯爵一行317人を、精一杯もてなした気持ちは、充分理解できる。ビベロ伯爵も後日、彼の記した「日本見聞記」の随所に、江戸幕府への感謝の気持ちを述べている。それが、である。1637年長崎「島原の乱」から、政治方針を180度転換。一転して、1639年「鎖国」政策を決行するのである。この大転換を迫った「島原の乱」とは、何だったのであろうか。

日墨交流400年―その7-に続く

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Super fiesta 400日墨交流400年その5「『聖人』の運不運は時代で決まる?」

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日墨交流400年― その5― 
「『聖人』の運不運は時代で決まる?」
 田中 都紀代、UNAM大学

前号では、同じ「聖人」でも、宣教師ザビエルは織田信長時代で幸運、メキシコ人聖フェリペ・デ・へススは豊臣秀吉時代で不運と書いたが、出会った時代で運不運が決まるとは、どういう事なのか。まず、ラッキーな宣教師ザビエルの時代を視てみると、大変な南蛮ブームであった事が解る。

1549年に彼がわが国に初めてキリスト教を伝えた6年前の1543年、種子島にポルトガル人から火縄銃伝来。これは、日本にとって初めての西洋との出会いであった。この火縄銃は、現在のミサイル爆弾のようなもので、当時の刀、槍戦法を大革新して火縄銃戦法で一発逆転、天下統一第位一号になったのが、織田信長であることは良く知られるところである。西洋の舶来品は火縄銃ばかりでなく、羅針盤、時計、望遠鏡、(ケイタイ、パソコン、デジカメ、はまだナイ。念のため)などの先端機器が西洋からもたらされた。

織田信長は、そうとう南蛮ブームにハマッていたようで、ワインを飲み、ビロードのマント、フエルト帽のコスプレを好んだそうである。しかし、彼の南蛮オタクには好みを超える政治的目的があった。それは、日本統一の最強ライバル、仏教勢力の票の切り崩しである。彼がキリスト教布教を認めたのは、一向宗などの自冶体抵抗勢力が信者数を拡張、自冶強固にして、日本統一を妨害するのをキリスト教で押えようとしたのである。この時代の初めに来日したのが宣教師ザビエルなのだから、ラッキーと言わずにはいられない。

ところが、1582年に織田信長は「本能寺の変」で日本史から退場。彼の偉大なる業績の一つは、仏教勢力に壊滅的な打撃を与え、日本人の思考体系を仏教思想の拘束から開放した事である、という論文を読んだ覚えがあるが、いかがなものであろうか。しかし、仏教勢力衰退を手放しでは喜べない事態が起きた。空白となった精神市場に、キリスト教が猛烈な勢いで、浸透し始めたのである。これはまさしくスペイン型精神的征服である。政治的征服は国民の抵抗で崩されるが、その国民が精神的に征服されていたのでは、抵抗が起きるはずがない。   

豊臣秀吉は「キリスト教はヤバイ!」と直感したに違いない。しかし、鎖国にして、南蛮人を追い出すと、膨大な利益を生み出していた南蛮貿易もパアになるので、「伴天連追放令」をだして、キリスト教を弾圧することにした。その時、運悪くメキシコ人フェリペ・デ・へススが日本に来てしまったのである。豊臣秀吉は本気を示す為に、パフォーマンスが必要であったので、彼の処刑を命じる。「伴天連、十字架に掛けられ、処刑」はインパクトがあったに違いない。この刑場には、外出禁止にもかかわらず、近所から4000人以上が集まった、と伝えられている。

日墨交流400年― その6-に続く

著者/田中都紀代    
    
早稲田大学文学部、筑波大学修士課程(日本研究、日本語教師養成プログラム)卒業
メキシコ国立自冶大学博士課程メキシコ史修了
国立国語研究所長期専門研修修了
国際協力事業団、筑波大学修士課程日本語講師、
メキシコ国立自冶大学国際交流基金派遣日本語講師

主な著書に「日本語表現文型 中級I,II,」筑波大学、「日本語会話」国際協力事業団(JICA)、    
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