本文は2011年に4回にわたって掲載した「La cultura del vino y el acuario del mundo」という政府観光省主催「rutas de MEXICO」の一環で、旅行関係者及びプレスを招待した視察旅行の記事に若干加筆・修正したものです。
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4日目。ロス・カボスから北回帰線を超え、一路ラ・パスを目指す。ラ・パスは南バハ・カリフォルニアの州都。コルテス湾を望む人口25万人程の町だ。道中の大半は半砂漠の荒野と時折見える群青色の海。10年以上前、元上司S氏と行ったロレートまでの陸路の旅を思い出す。イーグルスを聴きながら、助手席の人間が干し肉をかじりつつビールを飲む。湧き水があれば立ち寄り、風光明媚な丘があれば登ってみる気ままな旅だった…。月の明かりがやけに眩しかった記憶が何故か鮮明に蘇る。
懐かしいといえば、初めてメキシコを旅した20年以上前。マサトラン~ラ・パス間のフェリーで仲良くなったセルヒオ…。当時高校生だった彼だが、今は結婚し、家を買い、二人の子供をもうけ、当時大学生だった何の資産もない独り者の私を家に招待してくれる。2~3年会わずとも、つい先日会ったばかりのように連絡が来る。私には彼が「メキシコ=アミーゴの国」の象徴だ。
ラ・パスでは市街地へ入ることなくマリーナへ。今日のプログラムであるイスラ・エスピリトゥ・サントへの船に乗るのだ。ラ・パス沖に散らばるコルテス湾の島嶼は、2005年に「カリフォルニア湾の島々と自然保護地域群」として、ユネスコ世界自然遺産に登録されており、エスピリトゥ・サント島はその1つ。1534年にエルナン・コルテスによって発見された島で、ラ・パスの北29キロの海上に位置している。マリーナのダイブ・ショップでは、日本人女性スタッフに出会った。ラ・パスを訪れる日本人の大半はダイビングが目的で、ダイバーの90%が日本人という時期もあり、彼女のような日本語スタッフを置くショップが3つあるそうだ。こんな土地で暮らす日本人女性。生活に不便はあるかも知れないけれど、私には何故かしらとても贅沢に映り、本気で羨ましく思えてしまう。
我々を乗せマリーナを出たクルーザー。しばらくは右手に半島の殺風景な眺めが続くが、外海に出てからも間を置かずに右手に陸が見えてくる。クルーザーは既にエスピリトゥ・サントの西岸を進んでいるのだ。岩と土とサボテンと潅木の陸地は断崖となって海に落ち込んでいるが、時折白砂のビーチを形成する美しい入江も点在している。
現在は無人島となっているエスピリトゥ・サントだが、1910年までは真珠貝の採取が行われていたと本にある。まさに、スタインベックの著作「真珠」の舞台のように…。細部は失念したが、ひときわ大きな真珠を手に入れた為に不幸に見舞われるインディヘナの夫婦の哀しい短編作品だった。
エスピリトゥ・サントの北岸に接するかのようにパルティーダ島が現れる。この近海はアシカの群生地となっており、ブルーザー・ブロディーばりのアシカの鳴き声が聞こえてくる。
アシカはスペイン語ではLOBOS MARINOS(海の狼)と呼ばれる。狼という表現にそぐわないユーモラスな印象が定着している反面、ガイド氏によると気性が荒く獰猛な一面もあるという。ブロディーの雄叫びに通じるワイルドな動物なのだ。波の穏やかなスポットで船が停まると、周囲には先着した何艘もの船とアシカたちに混ざってシュノーケリングを楽しむ観光客がいた。アシカやイルカのツルツルッとした光を反射するような体に何故か抵抗がある私は、シュノーケリングは遠慮したのだけれど、野生動物のテリトリーにお邪魔しているという非日常体験を、暫しのあいだ遠慮なく満喫させていただいたのだった。
アシカの群れと別れ、我々を乗せたクルーザーはエスピリトゥ・サントのビーチの1つに向かった。上陸しての昼食という流れらしい。エメラルド・グリ-ンとコバルト・ブルーが混ざり合うポイントに碇泊したクルーザーに向かって、浜辺からモーターボートが迎えに来る。左程大きくもないクルーザーでも遠浅の入り江には進入出来ない為、モーターボートを待つ必要があるそうだ。「美しいビーチ」のイメージとして、椰子の木やマングローブなどトロピカルな風景がセットになっているのが一般的だと思うが、バハ・カリフォルニアでは乾いて荒涼とした背景が独自の持ち味であり、簡単に人を寄せ付けない苛酷な自然環境に身を置いている、あるいは本当の意味でのド田舎にはるばるやって来た感覚に直面する。普段滅多に出会うことない光景が普通に存在し、目の当たりに出来る「旅」がここにはある。
モーターボートで白砂のビーチに移動すると、昼食の用意がされていた。無人島であってもダイブショップのスタッフが交代で宿直を担当しているそうだ。こんな島の夜を一人で過ごす気分はどうなのだろうか。宿直スタッフへのそんな私の質問に「もう慣れてしまって良くわからない」との答えが返ってきた。さて、昼食は野菜スープ、白身魚がトマト、チリ、玉葱などと一緒に調理された、いかにもメキシコ風のメインディッシュ。簡素だがこんな場所で無理な贅沢を望む客もいなかろう。何よりも世界遺産自然保護区内で唯一キャンプを認められているビーチの、他のツアー客も居ない「貸切状態」の環境が何よりのご馳走と言えるのではないか…。
食後の自由時間。各自思い思いに過ごす。シュノーケルのセットやシー・カヤックは貸し出しがあった。シー・カヤックを借りた私は、ほとんど波のない水面に漕ぎ出してみる。抵抗なく意外な速度で進むことが出来るのは新鮮な悦び。沈する心配も感じなかったが、沖に出るまでは大人の腰ぐらいまでの深さしかないので、初心者でも比較的安全。ここで練習すれば、すぐにシー・カヤックにハマってしまうに違いない。私も素直に楽しかった。
メキシコ政府観光省「Rutas de México」の10種類のプログラムの中、「ワイン文化と世界の水族館」と銘打って南北のバハ・カリフォルニアを組み合わせた今回のツアー。北ではワイナリー巡り主体の人間の営み、自然環境との融和と有効利用から興隆したワイン産業を訪ねる社会科見学的な楽しさがあり、南は海洋生物の群生地や人を寄せ付けない自然環境に暫しお邪魔して、アウトドア体験に挑戦したり、エコ・ツーリズムの魅力に触れるバランス感覚がある。「メキシコ=古代文明・コロニアル都市」という形骸化した商品を漫然と扱うだけの旅行業者への示唆だ。メキシコは地下資源だけでなく観光資源も膨大ということに旅行屋はもっと執着すべきだ。
エスピリトゥ・サントの荒涼とした島と美しいビーチに別れを告げて、ラ・パスを経てトードス・サントスの町に立ち寄る。2006年にプエブロ・マヒコに認定されている18世紀初期の伝道村に遡る、比較的歴史の浅い町だ。カボ・サン・ルーカスとラ・パスのほぼ中間。一年を通じて温暖な気候と海からの清涼な微風がある。
アメリカの年金生活者や芸術家の移住が多く、映画、芸術、音楽など多彩な文化イベント、メキシコ独自の手工芸デザインと米国の商業的なセンスの融合した多くのギャラリー、隠れ家的な高級ブティック・ホテル、田舎とは思えない質のレストランなどが揃う小さな観光スポットとなっているのだ。
ここはイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」が作られたと言われている。メキシコのラジオで流れない日はない程ポピュラーなこの曲と同名ホテルの正面には、「テキーラ・サンライズ」という名のレストラン&バー、流れるBGMが「ラスト・リゾート」とくればファンには堪らない。あとは教会の鐘の音と「Colitas」の香りがあれば更にいいと思う。
旅の終盤。夕暮れが迫るロス・カボスへの道中、車窓からサボテンの林立が織り成す光と影を眺めながら思う。バハ・カリフォルニア・スールは個人的にメキシコ31州中で常にベスト3以内に入る大好きな州なのだが、メキシコでピラミッドや古代文明が見たいという観光客には売れないだろう。バハはあくまでメキシコの一面にすぎず、メインはホエール・ウォッチングに代表される自然との邂逅であり、ゴルフ、ダイビングなどのアクティビティーなのだから。かつての黄金ルート「メキシコ~タスコ~アカプルコ」。現在日本からのツアーの主流「メキシコ~メリダ~カンクン」等のルートの他に、メキシコに漠然としたイメージしか持たない日本の旅行業者に多彩なデスティネーションを効率良く楽しめるルートを提示し、関心を引き出す為に、「rutasde MEXICO」が足がかりとなるのか、自分に出来ることはないのか…。
自問自答する答えは風に吹かれて、バハの荒野に沈む夕日は光彩を失い、砂漠を力なくも長時間照らし続けながらフェードアウトしていく。東の空に白く小さな満月が浮かび、沈静していく昼の余熱が旅の終わりを告げる。旅行手配屋の私は平凡な日常に課題を1つ持ち帰ることになった。
<<終>>
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