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メキシコ情報&旅行誌「旅たび東洋」編集部スタッフがメキシコ周辺情報をお伝えしていきます。

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バハ④「La cultura del vino y el acuario del mundo」

本文は2011年に4回にわたって掲載した「La cultura del vino y el acuario del mundo」という政府観光省主催「rutas de MEXICO」の一環で、旅行関係者及びプレスを招待した視察旅行の記事に若干加筆・修正したものです。

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4日目。ロス・カボスから北回帰線を超え、一路ラ・パスを目指す。ラ・パスは南バハ・カリフォルニアの州都。コルテス湾を望む人口25万人程の町だ。道中の大半は半砂漠の荒野と時折見える群青色の海。10年以上前、元上司S氏と行ったロレートまでの陸路の旅を思い出す。イーグルスを聴きながら、助手席の人間が干し肉をかじりつつビールを飲む。湧き水があれば立ち寄り、風光明媚な丘があれば登ってみる気ままな旅だった…。月の明かりがやけに眩しかった記憶が何故か鮮明に蘇る。

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懐かしいといえば、初めてメキシコを旅した20年以上前。マサトラン~ラ・パス間のフェリーで仲良くなったセルヒオ…。当時高校生だった彼だが、今は結婚し、家を買い、二人の子供をもうけ、当時大学生だった何の資産もない独り者の私を家に招待してくれる。2~3年会わずとも、つい先日会ったばかりのように連絡が来る。私には彼が「メキシコ=アミーゴの国」の象徴だ。

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ラ・パスでは市街地へ入ることなくマリーナへ。今日のプログラムであるイスラ・エスピリトゥ・サントへの船に乗るのだ。ラ・パス沖に散らばるコルテス湾の島嶼は、2005年に「カリフォルニア湾の島々と自然保護地域群」として、ユネスコ世界自然遺産に登録されており、エスピリトゥ・サント島はその1つ。1534年にエルナン・コルテスによって発見された島で、ラ・パスの北29キロの海上に位置している。マリーナのダイブ・ショップでは、日本人女性スタッフに出会った。ラ・パスを訪れる日本人の大半はダイビングが目的で、ダイバーの90%が日本人という時期もあり、彼女のような日本語スタッフを置くショップが3つあるそうだ。こんな土地で暮らす日本人女性。生活に不便はあるかも知れないけれど、私には何故かしらとても贅沢に映り、本気で羨ましく思えてしまう。

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我々を乗せマリーナを出たクルーザー。しばらくは右手に半島の殺風景な眺めが続くが、外海に出てからも間を置かずに右手に陸が見えてくる。クルーザーは既にエスピリトゥ・サントの西岸を進んでいるのだ。岩と土とサボテンと潅木の陸地は断崖となって海に落ち込んでいるが、時折白砂のビーチを形成する美しい入江も点在している。
現在は無人島となっているエスピリトゥ・サントだが、1910年までは真珠貝の採取が行われていたと本にある。まさに、スタインベックの著作「真珠」の舞台のように…。細部は失念したが、ひときわ大きな真珠を手に入れた為に不幸に見舞われるインディヘナの夫婦の哀しい短編作品だった。

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エスピリトゥ・サントの北岸に接するかのようにパルティーダ島が現れる。この近海はアシカの群生地となっており、ブルーザー・ブロディーばりのアシカの鳴き声が聞こえてくる。

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アシカはスペイン語ではLOBOS MARINOS(海の狼)と呼ばれる。狼という表現にそぐわないユーモラスな印象が定着している反面、ガイド氏によると気性が荒く獰猛な一面もあるという。ブロディーの雄叫びに通じるワイルドな動物なのだ。波の穏やかなスポットで船が停まると、周囲には先着した何艘もの船とアシカたちに混ざってシュノーケリングを楽しむ観光客がいた。アシカやイルカのツルツルッとした光を反射するような体に何故か抵抗がある私は、シュノーケリングは遠慮したのだけれど、野生動物のテリトリーにお邪魔しているという非日常体験を、暫しのあいだ遠慮なく満喫させていただいたのだった。

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アシカの群れと別れ、我々を乗せたクルーザーはエスピリトゥ・サントのビーチの1つに向かった。上陸しての昼食という流れらしい。エメラルド・グリ-ンとコバルト・ブルーが混ざり合うポイントに碇泊したクルーザーに向かって、浜辺からモーターボートが迎えに来る。左程大きくもないクルーザーでも遠浅の入り江には進入出来ない為、モーターボートを待つ必要があるそうだ。「美しいビーチ」のイメージとして、椰子の木やマングローブなどトロピカルな風景がセットになっているのが一般的だと思うが、バハ・カリフォルニアでは乾いて荒涼とした背景が独自の持ち味であり、簡単に人を寄せ付けない苛酷な自然環境に身を置いている、あるいは本当の意味でのド田舎にはるばるやって来た感覚に直面する。普段滅多に出会うことない光景が普通に存在し、目の当たりに出来る「旅」がここにはある。

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モーターボートで白砂のビーチに移動すると、昼食の用意がされていた。無人島であってもダイブショップのスタッフが交代で宿直を担当しているそうだ。こんな島の夜を一人で過ごす気分はどうなのだろうか。宿直スタッフへのそんな私の質問に「もう慣れてしまって良くわからない」との答えが返ってきた。さて、昼食は野菜スープ、白身魚がトマト、チリ、玉葱などと一緒に調理された、いかにもメキシコ風のメインディッシュ。簡素だがこんな場所で無理な贅沢を望む客もいなかろう。何よりも世界遺産自然保護区内で唯一キャンプを認められているビーチの、他のツアー客も居ない「貸切状態」の環境が何よりのご馳走と言えるのではないか…。

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食後の自由時間。各自思い思いに過ごす。シュノーケルのセットやシー・カヤックは貸し出しがあった。シー・カヤックを借りた私は、ほとんど波のない水面に漕ぎ出してみる。抵抗なく意外な速度で進むことが出来るのは新鮮な悦び。沈する心配も感じなかったが、沖に出るまでは大人の腰ぐらいまでの深さしかないので、初心者でも比較的安全。ここで練習すれば、すぐにシー・カヤックにハマってしまうに違いない。私も素直に楽しかった。

メキシコ政府観光省「Rutas de México」の10種類のプログラムの中、「ワイン文化と世界の水族館」と銘打って南北のバハ・カリフォルニアを組み合わせた今回のツアー。北ではワイナリー巡り主体の人間の営み、自然環境との融和と有効利用から興隆したワイン産業を訪ねる社会科見学的な楽しさがあり、南は海洋生物の群生地や人を寄せ付けない自然環境に暫しお邪魔して、アウトドア体験に挑戦したり、エコ・ツーリズムの魅力に触れるバランス感覚がある。「メキシコ=古代文明・コロニアル都市」という形骸化した商品を漫然と扱うだけの旅行業者への示唆だ。メキシコは地下資源だけでなく観光資源も膨大ということに旅行屋はもっと執着すべきだ。 

エスピリトゥ・サントの荒涼とした島と美しいビーチに別れを告げて、ラ・パスを経てトードス・サントスの町に立ち寄る。2006年にプエブロ・マヒコに認定されている18世紀初期の伝道村に遡る、比較的歴史の浅い町だ。カボ・サン・ルーカスとラ・パスのほぼ中間。一年を通じて温暖な気候と海からの清涼な微風がある。

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アメリカの年金生活者や芸術家の移住が多く、映画、芸術、音楽など多彩な文化イベント、メキシコ独自の手工芸デザインと米国の商業的なセンスの融合した多くのギャラリー、隠れ家的な高級ブティック・ホテル、田舎とは思えない質のレストランなどが揃う小さな観光スポットとなっているのだ。

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ここはイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」が作られたと言われている。メキシコのラジオで流れない日はない程ポピュラーなこの曲と同名ホテルの正面には、「テキーラ・サンライズ」という名のレストラン&バー、流れるBGMが「ラスト・リゾート」とくればファンには堪らない。あとは教会の鐘の音と「Colitas」の香りがあれば更にいいと思う。

旅の終盤。夕暮れが迫るロス・カボスへの道中、車窓からサボテンの林立が織り成す光と影を眺めながら思う。バハ・カリフォルニア・スールは個人的にメキシコ31州中で常にベスト3以内に入る大好きな州なのだが、メキシコでピラミッドや古代文明が見たいという観光客には売れないだろう。バハはあくまでメキシコの一面にすぎず、メインはホエール・ウォッチングに代表される自然との邂逅であり、ゴルフ、ダイビングなどのアクティビティーなのだから。かつての黄金ルート「メキシコ~タスコ~アカプルコ」。現在日本からのツアーの主流「メキシコ~メリダ~カンクン」等のルートの他に、メキシコに漠然としたイメージしか持たない日本の旅行業者に多彩なデスティネーションを効率良く楽しめるルートを提示し、関心を引き出す為に、「rutasde MEXICO」が足がかりとなるのか、自分に出来ることはないのか…。

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自問自答する答えは風に吹かれて、バハの荒野に沈む夕日は光彩を失い、砂漠を力なくも長時間照らし続けながらフェードアウトしていく。東の空に白く小さな満月が浮かび、沈静していく昼の余熱が旅の終わりを告げる。旅行手配屋の私は平凡な日常に課題を1つ持ち帰ることになった。 

<<終>>
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バハ③「La cultura del vino y el acuario del mundo」

本文は2011年に4回にわたって掲載した「La cultura del vino y el acuario del mundo」という政府観光省主催「rutas de MEXICO」の一環で、旅行関係者及びプレスを招待した視察旅行の記事に若干加筆・修正したものです。

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3日目。この日のプログラムはロスカボスでのアクティビティ3種【ATV(四輪バギー)/乗馬/ヨットレース】を体験するというもの。カボ・サン・ルーカスから30分程北に行った国道沿いのショップからATVツアーが始まる。ヘルメット、埃が目に入るのを防ぐ為のゴーグル、口に入るのを防ぐバンダナを借り受けるが、衛生的にバンダナは自前のを使用した。

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ガイドを先頭に半砂漠の中のダート道を1列縦隊で海岸を目指す。慣れてくると各自好き勝手に走り始めるが、四輪バギーは操縦が単純なだけに意外な凹凸やハンドルの切り具合で転がってしまうことがあるので要注意。我々のグループでも、スペインの若い女性記者が怪我をした。四輪バギー自体は楽しいし、人も車も容易に踏み込めない場所に入り込み、とっておきの景観や誰もいない浜辺に出くわすことが出来るのが魅力だろう。

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しばらく遊んでショップに戻り、今度は馬を選ぶのだという。目ばかりが大きく体格の小さな馬を選び、早速「チビ」と名付けて可愛がる。

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ショップの裏手から海岸までの往復をチビの背中に揺られる散策。目に映る光景は潅木とサボテン。その先に白い砂浜と明るい群青色の太平洋…。馬のゆったりした歩調や、首を振ったり、しわぶいたりする生き物の仕草が、ATVの持つマシンの俊敏性や機動力を伴う楽しさとは異なる、優しい、くつろいだアウトドア感を与えてくれた。

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さて、四輪バギーで遊んで、馬でのんびり散策した後は、ヨットである。ただし、このヨットは普通の遊覧船ではない。アメリカス・カップ(1980年以来続く国際的なヨット・レース。一般的に沿海ヨット・レースの最高峰と位置づけられているマッチ・レース)に使用された一艇数億円という技術の粋を極めた規格のヨットに乗り組み、ロスカボスを舞台に近年の強豪国であるオーストラリアとニュージーランドの各チームに分かれてレースを再現するもの。マニアには垂涎の体験となるだろうし、ツアー代が100ドルでも200ドルでも好きな人には気にならないほどの魅力があるのではないだろうか…。

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スタッフも実際に競技クルーだった豪州人の艇長をはじめ、見るからに頑健で敏捷そうな海の男たちである。出航した後は帆の張り具合の調整や方向転換の為、ロープを巻き取るハンドルを回す作業が意外に忙しい。カンクンからイスラ・ムヘーレスへのフェリーなどは船酔いの私にとって苦痛でしかないのだが、この艇では船酔いする暇もない感じ。ジャイブとかタックとか専門用語は覚えられる状況ではなかったし、有名なアルコ(アーチ状の岩)などゆっくり見る時間も無かった(目に入るのは海より空のほうが多い感覚)けれど、爽快で新鮮なツアーだった。普段の生活とは全く異なる体験をするのが、旅の醍醐味の1つなのだと素直に思えるアトラクションだ。

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カボ・サン・ルーカスに戻り、「ミ・カサ」というメキシコ料理の店で昼食。既に気心が知れた旅の仲間(同業者とプレス関係者)たちと談笑しながらの長い昼餉。人気店なのか店はメキシコの民芸や家具で飾られ、メキシコ各地の料理を提供する店として、米国からの観光客で賑わっていた。海老のカクテルとビールですっかり気持ちよくなり、ホテルへ戻る前にショッピングモールへ立ち寄るなど、各々自由な時間を持つ。私は晩に飲むビールを調達。土地柄ここでは「Pacifico」がメジャーなようだ。

太平洋の彼方に夕日が姿を消し、写真家が悦びそうな黄昏を経て、とっぷりとした闇がシェラトン・アシエンダ・デル・マールを包む。テラスの椅子に腰掛けながら、窓越しに衛星放送のNHKのドラマなんぞを観るともなしに観ていると「ツアー1人参加の中年男性観光客」のような非日常的な感覚に浸れて嬉しい。中年であることは日常と何ら変りはないが、これほどにも手持ち無沙汰な夕暮れ時など滅多に体験出来るものではない。

灯が消えたプールサイド、冷たいジャグジーに仲間5-6人が集まる。私が買っておいたビールは一人に3-4本は行き渡る。宿泊客は少なくなかったが、プールには我々の他に人影はない。火照った頬を撫でる心地よい海風、鼓動のように静かな波音、夜空におぼろに散らばる星…。そうしたシチュエーションの下、つい2日前に出会った数人が語り、笑い、気を使わないリラックスした時間を共有する。これが団体旅行特融の楽しみなのだろうか。パッケージツアーが好きだという中高年のお客様たちの情感は、こうした時間にふっと理解出来たりする。

ホロ酔いで就寝。 <<4日目につづく>>

バハ②「La cultura del vino y el acuario del mundo」

本文は2011年に4回にわたって掲載した「La cultura del vino y el acuario del mundo」という政府観光省主催「rutas de MEXICO」の一環で、旅行関係者及びプレスを招待した視察旅行の記事に若干加筆・修正したものです。

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2日目。爽やかに晴れ上がったエンセナーダの町。ホテルが集まるツーリスト地区のような一画にあるエンセナーダのベスト・レストランと言われる「エル・レイ・ソル」へ。ここではバハ・カリフォルニア州観光局のプレゼンテーションを兼ねた朝食会があった。「チョリソ・デ・カラマル」という珍しい烏賊の朝食メニューを賞味。単純な私は、はじめて飲み食いするものがある時など、改めて旅をしている実感が湧く。

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ワイン文化の旅は続く。訪れたのはサン・アントニオ・ラス・ミナス地区にある小規模なワイナリー「ビニャ・デ・リセアガ」で、ここはエンセナーダから比較的近い。ブドウの種類はシラー、シラーとカベルネ・ソービニオンを使用したものが主流だが、個人的にはメルロー80%、カベルネ20%のフルーティーで軽い味わいの赤ワイン「ソフィア2008」が試飲した中で気に入った。

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リセアガの中でも特に高価なワインではないが、幾つも試した中で印象に残るものが1つでもあると楽しい。小さな醸造所と倉庫なので、見学も疲れないし説明も判り易い上、荘園レストランのような洒落た雰囲気がお薦め出来る。ここを借り切って結婚式が出来る案内も出ていた。ワイン好きのカップルにはいいかも知れない。ワイン好きのカップルがどれぐらいいるかは知らないが、そんなに少なくもないと思う…。目に優しいブドウ園の緑を眺め、芳醇な香りとひんやり爽やかな風に吹かれる非日常に心が弛緩していくのだった。

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ワイナリーを後にして、ティファナ空港へ戻り、国内線でロス・カボスへの移動となる。今まで縁のなかった航空会社ボラリスに初めて乗る機会を得たことで、一人でテンションが上る。離陸前の注意事項にビデオが流れ、シートベルトや緊急時の酸素マスクの着用、禁煙などの案内がされるのは昨今の流行だが、テレビサ系の航空会社ボラリスのビデオは、タレントが出演する少しドラマ仕立ての内容だ。レトロなCAの制服と併せて個性的で面白い。

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バハ・カリフォルニア…この先200年ぐらいは人の手が入ることがなさそうな乾いた大地と紺碧の海を眼下に快適な移動となった。

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ロス・カボス空港到着後は昼食のレストラン、メルカード・デル・マルへ向かう。クラウン・プラザ・ホテルの正面にあるパラパ風の店では、海老のタコス、マグロのカルパッチョ、アグア・チレ、チレ・レジェーノ・デ・マルリンなど海産物の前菜がどれも美味。メインは白身魚のマンゴー・ソースがけを頼む(予定のメニューではなかったが、駄目モトで頼んだらOKだった)。マンゴーの濃厚な甘さ、さっぱり塩味だけの魚の組合せは、南国風と言うか、リゾートの味である。普段から食べたいとは思わないけれど、こういった場所だから食べたい料理である。長い昼食時間が終わったのは、レストラン裏手のゴルフ・コースにあるサボテンと椰子の間に日が沈んでいくところだった。

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食事の後、3連泊することになる「シェラトン・アシエンダ・デル・マール」へ移動。過去に仕事で何度か来たことのあるホテルだが、宿泊は初めてだ。ロス・カボスは言わずと知れたカボ・サン・ルーカスとサン・ホセ・デル・カボの2つのカボ(岬)に挟まれた地域を指すが、このシェラトンがあるのはコリドール地区と呼ばれる中間のエリアだ。この地区には高級ホテルと高額なグリーン・フィーのゴルフコースが点在している「メキシコ的な風景と相反するアメリカ人好きな観光地」と言え、タクシーや食事などの物価もカンクンを下回ることは少ない。

2日目も大人しく就寝。 <<3日目につづく>>

バハ①「La cultura del vino y el acuario del mundo」

本文は2011年に4回にわたって掲載した「La cultura del vino y el acuario del mundo」という政府観光省主催「rutas de MEXICO」の一環で、旅行関係者及びプレスを招待した視察旅行の記事に若干加筆・修正したものです。

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初日。早朝。メキシコ以外の参加者もいる為、彼らの宿泊ホテルであるカミノ・レアル・ポランコに集合。レゴレッタの建築は明け方で人のいないロビーを、殺風景ながらも芸術的な空間に見せていた。空港ではじめてフライトを知らされる。観光省手配の国内旅行とは言えども、スケジュールも航空会社も事前に知らされないのは「びっくりツアー」のようで心細くなったが、何事もなくチェックイン。久々のインタージェットでティファナへ。ティファナ空港を出て市内に向かうとすぐに米国との国境線の塀が続く。名前の書かれた無数の十字架が塀を覆い、見る者に不法移民や南北問題を生々しく想起させる。

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参加者十数名を載せたバスは海岸線を南へ。時刻は昼どき。エンセナーダへはロサリート、プエルト・ヌエボなどの町を通る。プエルト・ヌエボの名産はロブスターとのこと。昼食はその名も「ロブスター・ハウス」でセットされていた。カラコル貝のセビチェはパルメザンチーズが効いたイタリア風で美味。スープはクラムチャウダー。メインは勿論ロブスター。豪快に割られたグリルとして饗される。地元観光省の面々はロブスターを北部で良く見かける薄くて大型の小麦のトルティージャでタコスにして食べている。なんとも贅沢なタコスである。

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昼食後、風光明媚な断崖に設けられた展望台で休憩を兼ねた写真ストップ。紺碧の太平洋を眺望出来る気持ちの良い空間だ。海面に直径50メートル程の丸い囲いが幾つか見て取れるので、ガイド氏に何か尋ねてみると「あそこに小さいマグロを入れて、大きくなったら日本に売っているのだ」とのこと。マグロの蓄養が行われているのだ。後日インターネットで調べてみたら、囲いが小さいのは体が柔らかくなって、トロの部分を増やす為なのだそうだ。それにしても日本人は魚介類が好きなのだと再確認。勿論私も例外ではない。

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初日のメインである午後の観光。バスはバジェ・デ・カラフィアへと入り、両サイドには葡萄畑が続いている。左手にペドロ・ドメックの工場が見えると右折して目的地であるラ・チェットのワイナリーへ。サイロのような大きなタンクが幾つか並び、背後には工場と倉庫が見え、花が咲き乱れる美しい庭の先が店舗になっている。1928年創業のラ・チェットは、数々の国際品評会で受賞(赤ワインでの受賞暦が圧倒的に多い)し、現在ではメキシコを代表する大手ワイン醸造所となっている。葡萄畑の端に可憐な薔薇の花が植えられているのが特徴的。薔薇は繊細な花なので、土壌に異常があるかを知らせるセンサー代わりを果たしているそうだ。

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工場は近代的で清潔で静謐だが、どちらかと言えば葡萄畑や周囲の自然環境のほうが印象的だ。観たこともないオレンジ色の美しい鳥がいたり、テラスと呼ばれるイベント会場から眺める広大な葡萄畑と背後のカルスト地形の山々…。ここから南に位置するファレス山地は冬場に冠雪するらしい。葡萄畑の土地はとても痩せているように見える。また、好天で強い日差しが強い割に半袖でいると肌寒いほどの風が西の方角から吹いていて、意外に体感気温が低い。こうした気候や環境条件がこの土地のワイン産業を興隆させたのだろう。何杯かの試飲の後のほろ酔い加減の頭で考える。慣れない昼間からの飲酒に涼風が心地よく眠くなってしまう。

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夜はエンセナーダ市内のラ・エンボテジャドーラという、店内がカバ(ワイン倉庫=カーブ)のような洒落たレストランでの夕食。米国からの観光客も来る土地柄の為か、センスの良い飲食店が点在しているようだ。

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ホテルに戻って就寝。 <<2日目につづく>>

サン・セバスティアン・デル・オエステ

これは本誌2012年8月号に掲載した文章です。紙面と下手な長文の関係で写真を載せるスペースがありませんでしたので、この場を借りて記録させて戴きます。

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サン・セバスティアン・デル・オエステ

サン・セバスティアン・デル・オエステはハリスコ州西部の山間の小さな町で、2001年にはユネスコ世界文化遺産の暫定リストに入っており、2011年にはメキシコ政府観光省に47番目のプエブロ・マヒコとして認定されている。…という予備知識をネットで入手し、何時か訪ねてみたいと思いながらも、ハリスコ州西部は気軽に見に行くには遠過ぎてなかなか実現出来ずにいた。

そんな折、モンテレイ支店時代の元部下L嬢から、プエルト・バジャルタで行われる結婚式の招待状が届いた。バジャルタからならサン・セバスティアンは近い。「知らないまま」放置されていたサン・セバスティアンがぐっと近づいたのだった。

L嬢の挙式はメリア・プエルト・バジャルタで行われた。メキシコ人の結婚式らしく、最終的に夜を徹しての一大ディスコ大会となった浜辺のイベント会場から抜け出したのは午前2時を回っていたが、翌朝7時前にきちんと起床してチェックアウト。さすが低地。覚醒がメキシコシティとは違う。

サン・セバスティアンに関する最も詳しいサイトには、バジャルタからタルパ行きのバスに乗り、ラ・エスタンシアという町で降り、それからサン・セバスティアンへヒッチハイクするよう案内が出ている。サン・セバスティアンへは路線バスが通っていないらしい。( → 実際に通っていなかった)

タンク・ローリーが3両ほど停まる程度の規模のバスターミナルでは、次のバスまで2時間以上あるという。係員曰くやはりバスはラ・エスタンシアで降りて、後はどうにかしてサン・セバスティアンまで行くしかないとのこと。バス待ちの時間を利用してTLTと珈琲2杯のゆったりした朝食に1時間のマッサージ。バス乗り場から徒歩圏内に都合よく色々とあって効率良く旅を開始する。

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冷房のない車内は座席が7割ぐらい埋まった状態で出発。2等バスらしく街角から乗車してくる人がいるので何度も停車し、市内を出る頃には満席状態。数人は通路に立って乗っている。こんな風景を目にすると中南米を旅していたバックパッカー時代を回想する以上に、20年以上経った今でもやっていることが変わらないことに呆れてしまう。

照りつける陽射しの中を快調に走る約2時間のバスの旅。途中からはカーブの多い山道となり、高度が上がっていくにつれ、全開の車窓から流れ込むムンとする熱気が爽快な涼風に変わっていく。深い谷にかかる大がかりなエル・プログレソ橋を渡ると人家がちらほらと見えはじめ、ラ・エスタンシアで途中下車した。

バスを降りるとたった1台のタクシーを発見。タクシーが存在するという当たり前のことを喜べるのは田舎旅行ならではのこと。ヒッチハイクをせずに済んだと勇躍タクシーに乗り込む刹那、一人の若者が「自分もサン・セバスティアンまで行きたいのだ」と声を掛けて来た。降車した十数人のうち我々だけがサン・セバスティアンへ行くようである。片道200ペソのタクシー代を割勘し、30分山道に揺られ、陽光穏やかな午後のサン・セバスティアンへ到着。

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石畳、白壁、オレンジ瓦の街並と小さなキオスコを持つ長方形のソカロ広場。正しいメキシコの田舎町という印象。ソカロの一画を占める町役場の隅の一室を利用した観光案内所で教わったお勧めホテルへ向かう。

デル・プエンテは小さいが手入れの行き届いたパティオを囲んだ9部屋のホテル。1人用の部屋なら1泊150ペソ。経営者の息子であろう中学生ぐらいの少年に部屋を見せて貰う。TV、エアコン、バスタブ、レストランはないにしろ、たった1泊歩きまわって夜寝るだけ、海抜1,400mの高原は寒くも暑くもない。風呂に浸かる習慣は日本で思い出す程度…。

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1000円で泊まれるホテルに熱いシャワーと清潔なベッドと和める雰囲気があれば、それ以上は贅沢というものであろう。前日プエルト・バジャルタで泊った1泊2000ペソ以上するホテルより落ち着けるのは、自身の貧乏性が起因しているのか、中南米放浪の名残がそうさせるのか答えは高原の風に吹かれている。

鞄1つを部屋に置き町の散策へ。ホテル前には石造りの古い橋が掛っていて、その下を小さなせせらぎが周囲の緑を色濃く変え、朝鮮朝顔の花を咲かせている。勿論、まっとうな旅人の私は種子を採取しに河原へ降りたりせず、教会の尖塔を目印に回り道をしながらソカロ広場を目指し、清涼な空気を堪能しながらゆったり歩を進める。

ポルタレスと呼ばれるアーケード的な軒下。通常は商店が並んで賑やかだったりするが、ここでは数軒の土産物屋が開いているだけで、主に子供の遊び場として利用され、子どもたちは確実に異人種の私を意識したチラ見を繰り返しながらも朗らかにはしゃいでいた。話しかけるとはにかむ様子がイメージ通りの田舎の子供らしくて好印象。

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町の中心サン・セバスティアン教会。元来17世紀に建立されたこの町の守護聖人を祀る教会は地震で倒壊したそうで、現在の教会は1868年の建築。礼拝堂と鐘楼が1つ。正面からは十数段の狭い階段を上がる。パステルカラーのシンプルな内装の礼拝堂には誰もいなかった。

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ソカロの南側にあるホテルに併設されたカフェテリア。シンと静まり返った古い建物の内部では、小学生ぐらいの少女がテレビの音を控えめにスポンジ・ボブを観ながら店番をしていた。普通の珈琲を頼んで休憩。子供の淹れたブラックはまずまずの出来。サン・セバスティアンは人口6千人に満たない町だが、先ほどソカロ広場で写真撮影をしていた時も私の周囲を走り回っていた元気な子供たちがいたが、タクシーで一緒に来た青年と観光案内所の青年以外はほとんど大人を見ていない。

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日が暮れると徐々に気温が下がり始め、空気がしっとりする感覚。どこかから蜩の鳴き声と焚火の煙が漂ってくる。どういう訳か昭和40年代の湿度の高い日本の夏の夕暮れとオーバーラップして、突然野球ばかりしていた子供の頃の自分に戻った感覚に陥る。こういうのは既視感とは違うだろうけれど、子供ばかり見ていたからなのだろうか…。

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バスも来ない山奥の子供ばかりの小さくて美しい町・・・ いやいやそんな童話かトワイライト・ゾーンのような空想的な町ではあるはずもなく、雑貨店で大人から煙草を買いながら、私は独りで安心したものだった。

サン・セバスティアンでの夕食はソカロに面したエル・フォルティンという店で、地元風とは言えメキシコなら何処にでもありそうな牛肉の赤唐辛子ソース煮込と豆を食す。珈琲を焙煎する豊潤な香りが充満する店内に、深々と夜の寒気が入り込んでくる。この寒暖の差や湿度の具合はベラクルスのハラパやコアテペックの気候に似ているように感じたし、散策中には珈琲豆が実った木を何本も見かけた。ハリスコ州も珈琲産地だが、概して観光地の土産用珈琲には当たりが少ない傾向のところ、ここでは満足のいく珈琲豆を入手することが出来た。

夜は早い時間からやることがなくなった。心地よい肌寒さの中、中庭のベンチで満月を眺めながらの一服。部屋にはTVがないのでパキァオvsマルケスの世界タイトル戦を観ることは出来なかったが、携帯で結果だけ確認するに留めシンとした静けさの中で眠くなるまで読書。

熱いシャワーと鳥のさえずりで覚醒し、散策がてら朝食レストランを物色。街角で知り合いの犬に良く似た犬と遊んでいると、小さな少女を連れたボディビルをやっていそうな筋肉質の父親と知り合う。彼はチワワ出身ながらカナダ留学の経験があり、現在の仕事もカナダ系の鉱物を扱う会社で技師をしているのだという。サン・セバスティアンには産出される鉱物の調査に長期で来ていて、来年から本格的に掘削作業を開始する予定とのことだった。古い鉱山町であるサン・セバスティンは未だ現役の鉱山が2つあるそうだ。

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親子と別れた後、ホルヘという男に出会う。プエルト・バジャルタの旅行関係者で、レストランなど紹介したりツアーを売ったりしているのだが、私の推測では今サン・セバスティアンを訪れている観光客は私を含めて10名もいないはず。これでは仕事にならないだろう。朝食を一緒に摂りながらサン・セバスティアンやバジャルタの話を色々と聞く。彼の食事はレストランが提供していたので、確かに地場の旅行会社の人間なのだろう。朝食後はアメリカ人のお客を見つけるまで、教会などガイドさんのように丁寧に案内をしてくれた親切な男だった。

ホテルに荷物を預け、チャーターしたタクシーでブッファの丘を目指す。ブッファの丘と言えば世界遺産の街サカテカスが有名だが、サン・セバスティアンでも近郊のツアーとして風光明媚な丘からの眺望を楽しむことが出来るのだ。サカテカスとの違いは町から見えるほど近くでなく、車で山道を1時間以上登っていく。また、サン・セバスティアンで4輪バギーをレンタルする方法もある。

ブッファの丘への道は蝶が舞い、鳥が唄う山奥深く入り込んでいく。時折眼下にサン・セバスティアンのオレンジ瓦の町が箱庭のように見える。タクシーを停めて写真撮影をしながら、ブッファの丘への途中にあるレアル・アルトの鉱山町へ立ち寄る。町というより集落といった佇まい。簡素で小さな教会には美しい聖母像“ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロサリオ・デル・レアル・アルト”を見せて貰った。約400年前にスペインで製作された聖母像は、当時スペイン領だったメキシコを経て、フィリピンへ送られる予定だったという。それがどういった経緯を経てか謎だが、当時繁栄していた鉱山の町の礼拝堂に祀られたとのこと。「だから聖母の顔つきや衣装が少し東洋的なのさ」と運転手が得意気に話してくれた。

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ブッファの丘は、TELMEXの通信施設がある頂上付近で車を降り、けもの道を10分ぐらい歩くと頂上に至る。眼下にはサン・セバスティアンの家々が身を寄せ合うように固まっていて、遠くには昨日バスを降りたラ・エスタンシア、遥かかなたに太平洋岸のリゾート地ヌエボ・バジャルタまで眺望することが出来た。

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時折動くものはチワワ犬ほどの大型のリス(正式名わかりません)や、樹皮と見分けのつかない色と質感の平べったいトカゲだったりする。

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日々の瑣末な出来事を忘れる程に静謐で長閑な自然の中に取り残された感覚を享受し、現実逃避に適した日溜まりに身を置く。「サン・セバスティアンのような田舎に生まれ育ったら、アメリカへ出稼ぎに行くしかないだろうか?自分なら行くだろうか?」などと取り留めなく考える。

答えは穏やかで清涼な風に吹かれ、何もないけれど穏やかで美しい田舎町からメキシコシティの現実に戻る時間が近づいていた。

mc

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