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Author:TabiTabiTOYO
メキシコ情報&旅行誌「旅たび東洋」編集部スタッフがメキシコ周辺情報をお伝えしていきます。

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アート&デザインバザールfusion38回目開催!

なぜか、こちらのブログでのインフォメーションでいつも人気なアート&デザインバザールfusion(フシオン)の38回目の開催のお知らせが届きました。今回もコンデサのパルケ・メヒコ(メキシコ公園)で行われます。

fusion38

60人以上のデザイナー達が、1点モノの洋服、カバン、Tシャツ、靴、アクセサリーなどをたくさん出展しています。それほど安くもないし、個性が強いものばかりですが、丁寧に作られた温かみの伝わってくるものが多く、その作り手の方とお話しをしながら買うのは楽しいもの。

いつものようにライブ、食事の出店も出ます。

このブログを読んでいる方がこちらの記事を見て訪ねてくれていることも多く、お買い物報告などが聞けると嬉しく思います。

このあたりは、ほかにもオススメのお店がたくさん。特に、このパルケ・メヒコの間をつっきるMichoacan通りは充実してます。

BOTANICUS
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-category-8.html
メキシコ発の自然派化粧品店ですが、足裏マッサージやフェイシャルエステなどお手頃価格のSPAが併設されてます。週末は予約必須。

TEAVENA
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-entry-12.html
メキシコでゆったりお茶が飲めるティーサロン

CAFE TOSCANO
Av. Michoacán 20, Col. Hipódromo Condesa
Tel.(55)5256-5159
Lun. a Mié., 13:00 a 01:30, Jue. a Sáb., 13:00 a 02:00, Dom.,13:00 a 18:00
ここで、この地域のマップ付きフリーペーパーを手に入れておくと便利です。

クリスピー・クリーム・ドーナツとか、ハーゲンダッツ、スタバなども並んでいます。Superamaも小さいですが、逆に気軽に入れてなかなか便利です。

この辺は日本食屋さんも多いのです。

回転寿司&SAKE BAR
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-entry-21.html

Restaurante Daikoku
Av. Michoacán 25, Col. Hipódromo Condesa
Tel.(55)5584-9419
Lun. a Sáb., 13:00 a 23:30, Dom.,13:00 a 23:00


インスルヘンテス通りからずーっと北上していくだけでも楽しいですよ。
インスルヘンテスの角には La Navalという、ものすごーく充実して、しかも結構安価な酒屋さんがあります。日本のお酒も結構いろいろあります。輸入食品も豊富に揃います。


日程/7月3日(金)~5日(日) 11:.00~19:00
場所/Parque México
Av. Michoacán y Av. México. Col.Condesa, México D.F.
最寄り駅はメトロバスCampeche駅徒歩5分、
メトロCHILPANCINGOか徒歩ら7,8分、INSURGENTESから徒歩15分くらいです。
ちなみにビアヘス東洋メヒカーノからも徒歩5分。

Tabi Tabi TOYOをまだ手に入れていないかたはぜひ弊社にお立ち寄りくださいませ。

www.proyectofusion.com.mx

37回のご案内
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-entry-150.html
36回のご案内
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-entry-124.html
35回の記事
http://tabitabitoyo.blog94.fc2.com/blog-entry-111.html
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山猫日記10 [最終回]

山猫日記
2009/6/20                              
T.OKAWA
                                   
森の朝は早い。鳥たちの声は森のオーケストラさながらに1つとなって谷間からわきあがってくる。空は雲におおわれているが、ところどころ雲のきれ間が見える。チピンケ岩峰やピナール山は雲のなかだ。

霧が森にたちこめて緑の木々を白いレースでつつみこむ。こんな日に森を歩いていると、からだが五感をフルにつかおうとしているのがわかる。動物としての感覚がよみがえってくるようだ。

いつも不思議に思うことがある。プエルト・デル・アイレを越えたピナール山の登山道にその木はある。それまでは晴れているのだが、その木の下だけ雨がふったように、茶色になった落ち葉がぬれている。ぼくはその樫の木に似た常緑樹を ”雨をふらせる木” と呼んでいる。森から発する水蒸気がピナール山で冷やされ、その木の上空で雲ができるのかなと思っていたが、今日その秘密を見ることができた。

気温20℃、早朝の空気はひんやりしていて気持ちがいい。登山道は濃い霧につつまれている。雨はその木の手前までふっていないが、その木の下にくるとふっている。ぼくはいつも自然界の不思議に心が惹かれ、自然の美しさに魅せられてきた。その木の下に入りどこから雨がふってくるのか見上げ、近くの木の下にいき同じように見上げた。霧がどの木のうえにも一様に白くおおわれている。雨をふらせる木の高さは5メートルほどだが、そのうえに高さ10メートルを超える2本の松が見えた。松の枝がちょうど雨をふらせる木の真上にある。ぼくは前に松葉の先に水玉がついているのを見て、きれいだなと思ったことがあった。そうか、上空をながれる水蒸気が松葉であつめられ、水滴となって落ちてくるのか。周りにそんな高い松の木はなかった。

ピナール山の最後の上りは海のある風景を想像しながら登っている。山にいるのにへんな話だが、きつい登りでいつもイメージするのは伊豆の式根島の海だ。式根島にある見晴台への上りはうっそうとした木々におおわれていて、登山道に丸太の階段がついている。見晴台に着くと視界がひらけ、その先に太平洋が広がっている。そこは黒潮が流れる群青の海だ。天気が良ければ三宅島や御蔵島が水平線の向こうに見える。式根島は何回となく家族や友だち、そして1人で旅をした大好きな場所だ。このピナール山の登山道がそれとよく似ている。

ピナール山頂はあたりいちめん霧につつまれていた。管理棟の床下の穴から黒い山猫のような動物がでてきて崖をかけおりていった。

来月は、わるいが家族とアラスカのデナリ国立公園で休暇だ。ハイイログマ、ムース、カリブー、ビーバーそしてロッキーチャックの仲間にあえるのを楽しみにしている。キャンプ・デナリでは、ぼくの好きな写真家の星野道夫氏の思い出を聞いてみよう。


山猫日記は今日でおわりますが、もし機会がありましたらこのアラスカの旅をお伝えできれば幸いです。

湖から山奥の温泉へ 年末合宿旅行 ⑤

五日目
カテマコの朝は幼少の頃に見た銭湯の壁に描かれた風景画のようだった。時が止まったような静寂があった。音もなく飛びすぎる鷺のような鳥や、湖面に漂う野生の鴨たち。体にまとわりつく湿った朝靄。ポツリ、ポツリと降っていた雨は何時の間にかあがって、昨晩の悪夢(悪寒)が嘘のような、しっとりした朝だ。


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ふと庭を見ると起き出して来たNZ君がホテル内のいたるところを写真撮影している。記録マニアなのか、単に手持ち無沙汰だったのか、とにかく今回の旅でもっとも写真撮影をしていたのは彼だろう。80君はもっぱらムービーだし、IG君、SN君は写真を撮るという面倒なことはまずしない。私は個人的にはIG,SN組と同様に面倒臭がるほうだ。今回はなるべくたくさん写真を撮るつもりだったけれど、NZ君には枚数で遠く及ばなかった。今NZ君はホテルが飼っているトゥカン(おおはしという鳥)を一生懸命に撮影している。


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簡単な朝食を終えると、本来パッケージになっているポサ・レイナという景勝地への遠足をキャンセルすることにした。今回のカテマコ滞在はいかにも短くて名残惜しい。個人的にこの辺りにはもっと時間の余裕のある時に再訪したいと思う。ショーン・コネリー主演の「メディシン・マン」や、メル・ギブソン監督の「アポカリプトス」の撮影地である周辺のジャングルをゆっくり歩くのは次の機会まで温存しよう。昨晩我々を出迎えてくれたすらっとした娘の親父さんと、昨晩我々の周囲を徘徊していた黒犬に見送られてカテマコを後にした。


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サン・アンドレス・トゥクストラへ向かうと、道中にメキシコ国産葉巻「TE-AMO」の工場がある。倉庫の壁には主要な葉巻の銘柄が描かれている。あいにく工場自体は年末休業中だった為、ここでは大人の社会科見学は出来ないのは残念だったが、併設のタバコ・ショップを開けてくれた。店には廉価なものから最高級品まで質も形状も多種多様な銘柄の葉巻が並んでいた。ここで最も活き活きとしていたのは米国で生活経験があるIG君で、彼は米国時代から葉巻を嗜む習慣を持っていると言う。キューバ産の入手しにくい米国では、このTE-AMOブランドの葉巻は案外流通しているそうなのだ。SN君や私などは手頃なものを今晩用に購入しただけだが、IG君だけは高級なセット商品を物色していた。メキシコ産でもかなり高価なものがある。葉巻はキューバだけではないのか。

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途中、ナビゲーターの表示したルートが不適切だったことで、サンティアゴという町の出口を間違えたようだった。気がつけば海に向かうところを山に入っていっている。前にはパイナップルを満載したトラック1台。対向車もまず通らないような山道だ。地図を見るとトレス・サポーテスというオルメカヘッドが発見された遺跡に近い。下の道を引き返すより、一旦高速に出たほうが早いと判断するも、高速道路の出口の表示があまりに不親切だったことで、仲間たちに見せたかった世界遺産トラコタルパンに立ち寄るには時間のロスがあまりに多すぎると思われ、一気にベラクルスへ向かう。


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恥ずかしながら我々おっさん軍団にはシーフード+ビールが世界遺産より魅力的なのだった。


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ベラクルスの街にはこのメンバーで以前も来ているので、わざわざ新しい店の開拓もせず、モカンボ海岸にある海鮮レストランへ直行する。ベラクルス市内に数軒あるシーフードのチェーン店だが、何処もそれなりに繁盛している。ここでは新鮮魚介類の盛り合わせや、アロス・トゥンバード(魚介のリゾット)などの定番メニューを注文し、遠くにモカンボのビーチを見ながらのビール。この店では一昨年の同じ時期にNZ君がタバスコを1瓶丸ごと料理にぶっかけて完食するという、理由なきマッチョな一面を垣間見せた店でもあるが、さすがに彼も歳をとったのか、投資効果のないやせ我慢に疲れたのか、今年は大人しく食事をしていた。


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まずまず充実した昼食を済ませ、マレコン通り、セントロを抜けて、我々は一路ハラパ方面を目指す。既にお馴染みのエル・カリサル温泉での年越しである。携帯電話も入らない山奥と渓流の温泉地で迎える大晦日。一昨年は安宿+飯盒炊爨という、あれはあれで忘れ得ぬ大晦日だったけれど、安宿の部屋のクオリティは雑居房並みとも思われ、今年は便利な温泉付属のホテルを確保しておいたのだ。安いホテルであることには変わりないが、ここでは最高のホテルなのも事実だ。


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夕暮れ前にホテル・ランチョ・エル・カリサルへ到着。チェックインを済ませて早速温泉へ。豊富に湧き出る源泉のあるプールは、横に流れるペスカードス川にプール中央部から大量のお湯を放出していて、以前に比べてプール内の透明度が上がり、格段にお湯がきれいになった反面、若干水温が下がったように感じる。それでも、日本人にも納得出来る温度を保っていることは変わりない。ゆったりとお湯に浸かって体を伸ばすと、夕日に染められほのかに赤みがかった雲が見え、「またメキシコで年を越すのか。日本の年末年始はもう十五年以上ご無沙汰だなぁ」とメキシコで過した月日=日本での生活を放棄した月日を独り省みてしまう。勿論、どっちが良かったのか結論など出はしない。

夕食前に近くの町までビールやつまみの買出しに行った。商店の軒下にはピニャタがたくさん吊り下げられている。勿論、売り物なのだろうが、色んな店で吊るしている為、商店街の歳末セールの飾りにも見えてくる。この町では恒例らしい女装をした男を周囲の若者たちが囃し立てながら練り歩き、道行く部外者に女装男が抱きついてくるという奇妙な祭りが行われている。我々も逃げ回ることになったが、なんというイベントなのか名前は忘れてしまった。


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夕食は年越しメニューのバイキングだった。ホテルの食堂には泊り客のグループ毎にテーブルが作られていて、田舎のホテルが従業員総出で頑張った夕餉が供された感がある。小さな子供たちまで手伝っていたりして、内容よりも好感が持てる雰囲気に満ちていた。私は仲間たちに感謝しながら早めに酔っ払い、部屋飲みに移行してからも、誰よりも早くダウン。そのまま朝まで誰かのベッドを占領して熟睡してしまい、カウントダウンすら覚えていない体たらくで2008年が過ぎていったのだ。


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カカオ園から魔術師の湖へ 年末合宿旅行④

四日目
ビジャエルモッサでお馴染みになったタマル・デ・チピリンの朝食を済ませ、北西に約1時間のコマルカルコの町を目指して出発。今にも降って来そうな曇天のタバスコ州の田舎道を地図を頼りに辿っていた。ビジャエルモッサのホテルを出てから30分程か、沿道には板張りの簡素な店舗や食堂が並んでいる。タバスコ州の緑の平野には河川が多く、時折ペヘ・ラガルトの丸焼きを並べている店を目にする。その昔、川口浩探検隊シリーズで「伝説の古代恐竜魚ガーギラス」としてわざわざ捕獲に来た魚であるが、現実には近くの川でたくさん獲れるのだろう、タバスコ州ではこの鰐顔の古代魚は地元民のありふれたタンパク源と言わんばかりにそこかしこで普通に売られている。

我々は前日パレンケ遺跡付近のレストランでペヘ・ラガルトを食べた。古代魚は見た目にそぐわず淡白な味で白身の肉も柔らかい。斜めに規則的に並ぶ堅い鱗に覆われた骨格が他の魚類と違っていて、魚を下ろすのが難しそうに見え、調理法も概ね丸焼きか、細かくほぐした肉をケサディージャにする等がメイン。バリエーションは少ないようだ。川魚特有の泥の匂いが若干あるぐらいで、ゲテモノでも何でもない癖のない魚だ。同行のシェフSN君の手にかかれば、もっと美味い料理に昇華するだろう。

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我々が目指しているのはコマルカルコの町。コマルカルコの街の交差点には大きなピニャタが飾られ、クリスマス的な雰囲気を出そうと努力しているが、周囲の景色がトロピカルな為にクリスマス・シーズンというより、ピニャタ好きな町にしか見えないのが惜しい。ここには紀元前1世紀から紀元後4世紀に築かれた同名のマヤ遺跡がある。コマルというトルティージャを作る器具のある家という意味で、マヤ文化圏の最西端に位置し、トルテカやトトナカといった他民族と交流があったという。この遺跡が特徴的なのは、石を産出しない平野に位置する為に、高さ25メートル、12層の一号神殿など立派な建築物が全てレンガで造られていること。出土品の多くもレンガに施された浮き彫りなど、なかなかオリジナリティがあって面白いらしい(*ガイドSS氏に伺った話)。

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しかしながら、今回この地を訪ねた目的は遺跡見学でなく、カカオ園の見学である。ここはチョコレートの原料であるカカオの産地であり、その荘園やチョコレートの製造過程を1時間程で説明してくれる簡単なツアーがあるのだ。我々が訪ねたのはアシエンダ・ラ・ルスという荘園。町の中心部から5分程度の場所にある。入口は小さな店舗になっており、CHOCO TOURと表示されている。

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荘園ツアーには我々5人だけでなく、後から来たメキシコ人の家族が一緒になり、説明役のモレナで丸い顔をした健康そうな娘(名前を失念してしまった)に案内され、木立の中に入る。まずはカカオの樹をはじめ、タバスコ州の豊かな植生について話を聞くのだ。ここではカカオは当然として、マンゴ、バニラ、ひょうたん、チコサポテ(通称ガムの木)、カウチョ(通称ゴムの木)、コーヒーなどの木々が見られる。カカオは勿論チョコレートの原料であり、メキシコ以南の中米、コロンビアやベネズエラなど南米の熱帯地域が原産地。他に同緯度上に位置する西アフリカ(日本でもガーナチョコレートなんてお馴染みだろう)、東南アジア(ジャワ島など)にも分布しており、古代マヤの神官などはチョコレートを液状に加工したいわゆるココアを飲む習慣があったらしく、アステカ帝国では飲料としてよりも、貴重な果実として貨幣の代わりに流通させていたともいう。幹の途中から唐突にボコっと大きなカカオが垂れ下がる光景は特徴的だ。

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ここタバスコ州といえば、オルメカ文明の巨石人頭像(オルメカ・ヘッド)が有名だが、オルメカという名前はナワトル語で「ゴムの土地の人」で、この紀元前1250年ほどに発祥したメソアメリカ最古の文明である。確かにタバスコ州にはゴムの木があって、メキシコ古代文明の各地で行われた球戯(JUEGO DE PELOTA)に使用される球の原料として太古から使われ、後に英国でラバーという素材になった歴史がある…。そんな説明が木に貼り付けられていたりする。

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現在、メキシコはチョコレート用のカカオ産地としては全くマイナーな存在である。東アフリカから持ち込まれたコーヒーの生産にカカオよりも比重がおかれた為だ。ガムの木の実をつぶすと、確かに甘い香りがするし、パパントラで売っている乾いた茶色いバニラでなく、グリーンで細長い隠元豆のようなバニラを見たのも初めてだし、なかなか厭きが来ない。雨がパラついて来たが高い木々に遮られて、気になる程には濡れもせずに、むしろ心地良いぐらいだった。

この荘園のドイツ人創業者の名を冠したオットー・ウォルター・ヘイヤー博物館に入る。小さな館内では最初に伝統的なカカオ豆の加工行程を丸顔の娘が実演しながら教えてくれる。大雑把に言うと、カカオはカカオマス、カカオパウダー、カカオバターなんかに分かれて、色んな手を経て、チョコレートになるのだ。次は歴史の勉強。1520年にエルナン・コルテスがメキシコ征服。その後1527年にカカオは大西洋を越えスペインに持ち込まれ、ココアは商品として全ヨーロッパに波及し、イタリア、フランス、ドイツ、英国、ベルギー等の国々でチョコレート産業が興隆。1755年になってから、大西洋を再び越えて米国へチョコレート産業が進出したという。

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丸顔娘のそういった説明を聞きながら仲間たちを見ると、意外にみんなきちんと話を聞いたり、カカオを発酵させる為に使ったボートのような形状の桶を眺めたりしている。私にとってチョコ・ツアーはビジャエルモッサからのアトラクションとして、コマルカルコ遺跡と併せてお客様に伝えたり、少なからず自分の仕事に役立つ可能性があるし、調理学校勤務のSN君などは食の知識として学生に話してやれるだろう。けれども、プラスチック成型機や自動車部品を扱う80君やIG君、ロジスティックの専門家NZ君など、彼らの仕事にはなんら関係ない小さな伝統的家内制工業を退屈せずに見ているのが面白いと思う。じきに荘園の住宅部分、昔の写真や家具調度などが置かれた応接間に通され、最後に創業者一族の来歴やこの土地との係りなどの話しを聞いてツアー終了。きれいな庭を横切り、入口にある店舗へ戻って、冷たいココア・ドリンクを供される。お土産にひとつ20ペソのオリジナルのチョコレートを幾つか購入し、コマルカルコを出発。今回は、ワイン醸造所やカカオ荘園などを見学する社会科見学的なアトラクションで、仕事や普段の生活と全く違う世界に触れる機会を持った。旅行という非日常の中で、他の人の日常を見せて貰い、昔の人の話を聴く。タバスコ州からベラクルス州にかけてカカオ園、葉巻工場、コーヒー農園などをルートに組むことが出来る。一風変わった大人の社会科見学的な観光として、期待が大きくない分、意外にコクのある見学が出来てお薦めだ。

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街道沿いのレストラン「ラ・トリニダ」で昼食にローパ・ビエハを頼んだが、キューバ料理のそれとは違いどちらかというとマチャカ・コン・ウエボのような趣。豆ごはんと一緒に食べるが悪くない。また、トルティージャ・デ・アホという大蒜の入ったゴルディータとエルサルバドルのププサを足して2で割ったような一品が美味しい。タバスコ州の田舎料理はメキシコ料理には違いないが、カリブ料理と中米料理のエッセンスが微妙に融合している感じがあって、けっこう新鮮な発見があった。

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コマルカルコから187号線を南下し、エロイカ・カルデナスから180号線の高速に乗った。ここからベラクルス州へ戻り、カテマコを目指す。途中から一般道に入る為、未だ昼過ぎだが移動距離以上に時間がかかることを計算して、現地への到着時間を午後7-8時に見積もる。アカユカンで高速を降りて一般道の180号線を進む。遠くから見えていたが、周囲は山がちな放牧地帯になって来ている。我々の目指すカテマコの湖は海抜340mしかないが、1650mのサン・マルティン火山が北西に、1700mのサンタ・マルタ山が南東に湖を挟むように位置しており、アカユカンからの道は全体的に緩い登り道になっている。

左手に夕日を眺めながら山道を進んでいったが、ここで予想外の渋滞に出くわした。片側1車線の道がディアス・コバルビアスという町に差し掛かると、先行する車両が全く動かなくなり、中には来た道を引き返す車も出ている。なんでもバスやタクシーの運転手がストライキ及び道路閉鎖を行っており、ともかく誰も通行できないという。どうなっているのか、抜け道はないのか集まっていた警察官に尋ねるも、この町には10名弱の警官しか居ない為、とても強行に解散させることも出来ない…と、警官自身が途方に暮れながら返事をしてくれた。しかも、抜け道はないのだという。

本来ホテル予約などしていなければ、この町に泊まってしまっても良かったのだが、今日のカテマコのホテルでは到着後にテマスカル(アステカ風蒸し風呂)に入る予約までセットになっているのが惜しいし、見たところこの町に宿泊しても楽しそうな店もなさそうである。80君のカーナビを頼っても、先に進める道が出てこない。駄目もとで車を降り、道端で立ち話をしている地元の人であろう4人の男女に尋ねた。「道路が封鎖されてるけど、なんとかカテマコに行く方法を知りませんか?」 4人のうちの男同士2人がなにやら話し合った結果、「ガソリン代を出してくれるなら、途中までオレのトラックで先導してやってもいいが…」気乗りしなそうな話ぶりでも親切なオファーには違いない。「そうして下さい!!」と、私は危険牌を通してすかさず喰いタンであがるような形振り構わない余裕のなさで頼み込んだ。

町を出るとすぐに真っ暗な山道だ。前を行く男の赤いダットサンに追従するシエナ。そのうちアスファルトも終わり、凹凸の激しい行き違いも出来そうにない細い未舗装道路になった。中で私たちは不安交じりにこのハプニングを語り合った。「あの男が訳わかんないところで銃でも出して来たら終わりだな」とか、「いやぁ、奥さんも一緒だから心配ないだろう。親切そうだったし」とか、「それにしても地図にもナビゲーションにも出とらんぞ」とか…。何時の間にか各自言葉もなくなり、窓の外に目を向ける。街灯もなにもないベラクルス南部の山岳地帯は満点の星空がとても近くにある。時折彗星が夜空を走り抜け、周囲は我々の車の音以外に無音である。そんな中1時間以上トラックは先導しているのだ。これが親切でなくて何であろう。やがて、山道が2つに分かれる場所でトラックが停まった。

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私が降りて車窓に近づくと、「ここから真っ直ぐ道なりに行くと村がある。村を突っ切れば国道に出れる。国道を右に行けばカテマコだ」という説明をしてくれ、私は御礼にガソリン代を渡した。男は金額を確かめると、不満とも満足とも読み取れない顔で「ムイ・ビエン、ケ・レス・バヤ・ビエン」(オーケー、気をつけて行けよ)と言い残してもと来た道を戻って行った。また1時間以上かけて町へ帰るのだ。思い掛けない理不尽で不都合なことが起きようと不愉快な目に遭おうと、最後の最後でいつも親切な人に出会えるのが、この国のこの国たる所以であって、そんなメキシコに魅了された私のような人間には、メキシコ人が親切なのは買い被りではないのだと改めて再確認させてくれるなら、こんなハプニングも満更ではないと思ってしまう。

教えられた道なりに1つの村を通り抜けるのだが、三叉路や四つ角でも進行方向を間違うことなく通過することが出来た。何故なら村の子供たちが角に立って誘導していてくれたからだ。我々のように抜け道で国道を目指した車が何台かいて、その度に村の夜の静寂が破られたのに懲りた親達が子供たちを動員したのだろうか…。どうして誘導してくれるのか尋ねる前に村を抜けてしまったけれど、暖かい気持ちになってくる。

街道に出てからカテマコまでは30分程だったろうか。湖の桟橋に近い近代的なホテルや、意外に賑やかなセントロを素通りして、予約していたホテルへ向かう。このホテルはカテマコの湖畔にあるとは言え、セントロの辺りからは湖の東側に3分の1ほど迂回する。ここから更に50分程かかるのだった。日のあるうちにホテルへ着く予定だったのが、すっかり狂ってしまった為、ホテルに着いた時にはレストランも一度火を落とした後で、他の客の姿なども見えない状態だった。マネージャー代理のすらっとした浅黒い肌の感じのいい娘が出迎えてくれたが、夜8時から予約していたテマスカル(古代アステカ風の蒸し風呂)には間に合わなかったので、これから夕食にして夜11時からテマスカルをやってくれるという話だった。ホテルの対応としては親切なのはわかるが、我々のほうが予定通りに到着出来なかったことで半ば諦めていたし、半ば面倒臭くなってしまっていた。

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今回のホテルはプラシャンティというこじんまりした簡素な湖畔のロッジ風のところ。ここの売りはといえば、魔術師の湖「カテマコ」にふさわしく、ホテル内でリンピア(いわゆるお祓いみたいなもの)やスピリチュアルな体験が出来ることで、中でもクリスタル・テラピーというパワーストーンを使って運気を上げたりする施療がある。メキシコ人に「カテマコへ行く」と言えば、10人に9人は「リンピアか?」と訊いてくるぐらいにカテマコにふさわしいアトラクションでもあり、テマスカル風呂もその一端なのだろう。私の場合、5人部屋(ベッド5つ)があったので、部屋飲みに適していそうだという理由だけで決めてしまったのだが…。

さて、食事の場所はホテル入口の簡素なオープンエアのカフェテリアであった。テカテビールがロング缶だったこと以外は、取り立てて珍しくもないスープと焼肉。まぁ、時間外だから仕方ないとしてもメシにうるさいシェフSN君などは不満げであった。黒い犬がうれしそうに我々のテーブルの周囲で尾を振っている。周囲は真っ暗で水の気配は濃厚に感じるが暗くて湖面は見ることが出来なかった。レストラン部分が土手の上部にあって、部屋やプールには階段を降りていく。

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4-5本ビールを空けてしまうと、シェフSN君はテマスカルに行くのを放棄して部屋でゴロゴロ読書体勢に入った。他の4人は折角なんでということで、水着に着替えてテマスカル風呂へ。本来暑い気候の土地なのだが、夜の湿気が以外に肌寒い。テマスカルというのは日干し煉瓦や泥で作った半円形の小さなドーム(雪国のかまくらのような形状)の内部中央に熱く焼けた石を沢山置いて内部をサウナ状態にして入る蒸し風呂で、入る前に体に泥を塗っておく人も多い。泥で体温と汗が更に体を温めるのか、新陳代謝を良くするのか、よく調べてもいないがなんらかの効能はあるのだろう。仲間たちはともかく、私自身がモノは試しにやってみたかったのだ。11時になるとプールサイドの怪しげなテラス(仏像やら、東南アジアのお寺っぽい装飾やら、エキゾチックな風鈴だとかがゴッチャになったインチキっぽい不思議空間)に、他の部屋の泊り客も数組集まって来た。テラスの奥には細長いテーブルが置かれていてスナックやクッキー、ジュースのような液体の入った水差しと何が入っているか不明な魔法瓶、コップやティーカップが並べてある。そして、机の下には泥で満たされたバケツが置いてある。きっと体に塗るのだろう。

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他の泊り客達に混ざって勝手に魔法瓶のお茶(これは非常に口に爽やかなハーブティーだった)などを注いでホテルのオーナー支配人(兼スピリチュアルの先生、仮にマエストロと呼ぶ)の登場を待った。料金の問い合せや予約など、メールでのやり取りでは彼の回答は何時も早く、非常に謹厳な内容で好印象を持っていた人物だ。彼はテマスカルへ行く前にカテマコがいかにスピリチュアルな土地かをスピーチし、テラスから延びる細い坂道をテマスカルへ誘導した。勿論、泥パック組は身体中をグレーに塗りたくっている。私たちはそれを寒そうに見ているだけだった。

テマスカルの中へ入るとまずは以外に大きいことに気付いた。真ん中に焼けた石が積まれた筒状の枠があり、円周がベンチのようになって各人が思い思いに座っている状態。大人でも30人程座れそうだ。ただ、寒かった。全然石が内部を暖めていないのだ。恐らく普段こんなに気温の低い状態でテマスカルを行うことはないのだろう。湿気があるが体を温める蒸気ではなく、夜の冷気である。座っているだけで「何が楽しくてこんなに寒い思いをしてるのか」という疑問が湧き、部屋でくつろいでいるであろうシェフSN君が羨ましくなってくる。他の仲間たちも寒がっている。

それでも、マエストロは悠然としていて(この人は着衣だし)、自分のスピリチュアルな世界に入り込んでいる。何か濃い緑色の葉がついた植物の束を持って、中央の焼け石から出るわずかな蒸気をテマスカル内部に拡散させたりしている。いい加減部屋に帰りたくなってくると、マエストロの口からいかにも前口上といった感じで、ブツブツと何かを口ずさんでいるのだが、内容を一生懸命聞き取るほど寒さで集中力がないので、「これはきっとリンピアの呪文かなにかだろう」と勝手に解釈する。マエストロのつぶやきが次第に高まって来ると、やおら「アァーーーーーーーーーーーーング」と、意味不明の一喝と共にセレモニーは終了した。体も温まらず気持ちも高揚とはほど遠い。

お寒い一団は庭に円形に囲われた大きな井戸といった場所へ案内される。そこにはちょうど足湯ぐらいの高さで自然の湧き水が湛えられている。気温の高い日中にこれをやっていれば、きっと爽快間違いないなのだろうが、今は夜露も降ろうかという真夜中である。足は冷たく、運気は下がりっぱなしである。苦労して辿り着いたカテマコのスピリチュアルな夜は、極寒のテマスカル体験が脱力体験と転化し、静かな漆黒の塊となっていく。暖かく甘いハーブティーが救いだった。


mc

山猫日記9

山猫日記
2009/6/13                             
T.OKAWA
                                   
ピナール山頂のベンチにすわって、ぼんやり考えごとをしているとジリスのロッキーが姿をあらわした。今日は周りを警戒し、うしろ足で立ちあがっている。そのとなりにはロッキーよりもひとまわり大きく黒毛にところどころ茶の混じった、りっぱな尻尾のジリスがいる。もしかするとロッキーのつれあいかもしれない。ぼくはガンバと名づけた。やはりアニメの主人公の名前だ。てっきりロッキーは雄だと思っていたが、この状況からすると雌のようだ。

ロッキーたちは気がついているだろうか。上空に数羽の頸長の鷲が舞っている。一羽の鷲がロッキーの後ろ数メートルに近づいた。ぼくは立ちあがって両手をひろげ鷲を威嚇した。鷲は近くの電柱にとまり様子をうかがっている。ロッキーたちは鷲に気がつき、すばやく姿を隠した。鷲に向かって石を投げると、仲間といっしょに西の空へ飛び去っていった。

上空の鷲にほとんど無用心なロッキーが気がかりだが、いつか子供を連れた姿にあうのが楽しみだ。

ぼくはふたたび明日のナイトハイクのことを考えはじめた。夜、森を歩くのは野生動物に出あうチャンスがふえるが身の危険をともなう。何度か伊豆の天城山で月明かりをたよりに森を歩き、星空の下、寝袋だけで野宿したことがあるが、怖いという感覚は無かった。むしろ森が教えてくれる秘密を楽しんでいた。ここチピンケ自然公園は野生のピューマが棲み、ブラックベアが出没する。彼らにあいにいくのだが、もし彼らと鉢合わせしたらどのように対処すれば良いか考えがまとまらない。

翌朝5時50分自然公園入口に到着、車のライトを消すとあたりは闇につつまれた。身を守る登山ナイフや先の尖ったスティックを持っていこうか考えたが、結局いつもの格好でヘッドライトのみ着けて歩きだした。雲間から半月が顔をのぞかせ、足元に影をおとしている。6時10分エントランスゲートに着く。管理棟には誰もいないはずだ。いよいよ森の中へ入る。あちらこちらでコオロギが鳴いている。気温は25℃、まるで夏の終わりの気配だ。突然山側の森からガサッと大きな物音がして、思わず身をすくめた。何か動物のようだが、物音は一度だけだった。登山道に入ると道は狭くなり、蜘蛛の巣が顔にかかるようになった。その度にあとずさりしながら、蜘蛛の巣を顔から取りのぞいた。木の葉の間から見える空が少し白み、どこかで鳥が鳴きはじめたが昼間に聴く鳥たちとは違う声だ。

6時40分もうすぐチェマがピューマを見たという大きな石のあたりだ。足もとの石を両手に持ち、数歩あるいては立ち止まり耳をそばだて動物の気配をさぐりながら登った。カケスに似た声の鳥たちが騒がしく鳴きはじめた。この青い鳥はいつも登山道にいて、ぼくが近づくとピタリと鳴くのをやめていたので、このあたりにピューマはいないのかもしれない。少しほっとした気持ちで登山道をぬけ、ラスモラスに向かう車道にでた。

正面に見えるチピンケ岩峰群の岩肌がうっすらと赤みを帯びてきた。ピューマはおろか山猫一匹あらわれなかったが、森は少しだけ秘密を教えてくれたような気がする。車道をよこぎり急登の登山道に入ると、もうヘッドライトの明かりはいらなくなった。いつも耳を楽しませてくれる小鳥たちが鳴いている。

7時5分登山道を登りきるとピナール山に続くトレイルにでた。チピンケ岩峰群にかかっていた雲は流れ、雲間から青空が見える。コペテ・デル・アギラの山頂の上に、今は白くなった月が浮かんでいる。朝陽は岩壁を照らし、光と影の境界線をつくっている。ピナール山はうっすらと雲に覆われている。途中、ハアハアと息を切らせながら走ってくる数人のランナーに追い抜かれた。こんな朝早くから走っている彼らに驚きながら、この森の秘密を何人のランナーが知っているだろうかと思った。

7時30分プエルト・デル・アイレに着くと、ちょうどパークレンジャーのマヌエルがピナール山からおりてきた。マヌエルとはハイカーの転倒事故の一件いらいの友だちだ。ぼくたちはガッチリ握手をして、軽くオハヨーと挨拶した。マヌエルは山頂の管理棟に泊まったのか、はれた目をしながら1時間しか寝ていないという。明日はチェボが山頂にいると教えてくれた。良い日でありますようにといってわかれた。

ぼくはピナール山の登山道を歩きながら、次はコペテ・デル・アギラの山頂で日の出を見たいと思った。夜中にあの岸壁を登るにはロッククライミングのエキスパートであるチェボが必要だ、こんど会うときに話をしてみよう。

「たびたび、旅に出たらいい」に寄せて

旅には多種多様なスタイルがあっていい。

旅をする人は通常その中から1つ乃至2つを念頭において旅を開始する。仕事の出張、個人の休暇、単純にフラっと何処かへというような目的や志向に合わせて旅のスタイルは変動する。

この多様さをいうことを踏まえて、今回の「たびたび旅に出たらいい」というM嬢のエッセイというには多分に感傷的な随想を興味深く読んだ。何故か。最も顕著なのはM嬢と、(同僚)という呼称で登場するK君、(上司)の呼称で登場している私、3人の‘1つの旅‘に対する温度差だろう。

同じ1泊2日の週末旅行に対する目的意識の違い、求める対価の大小、満足度のレベルの高低と言おうか…。「旅にでたらいい」の中でM嬢は下調べする時間的余裕もなく、計画めいた話もろくに聞いていないことを若干後悔しながら、出かけるのが大いに面倒臭くなっている心境で参加しているし、途中でこの無計画で野放図な旅の駄目さ加減に幻滅している。この幻滅の責任の大半は私にあるのだが、私の目的は旅に出た時点で半分以上達成しているので、その後が計画通りにならなくても、想定外のことに対面しても落ち込んだりしない程度のものだったのだ。感覚的には近所のスペラマに買い物に行って、欲しかったものが半分しか見つからなかったけれど煙草とパンは買えたからいいやぐらいのものだ。しかも、今回の旅は会社の都合の為にアシスタントなしで普段より格段に業務が増えてしまったM嬢を、週末だけでもメキシコシティの現実から逃避させるのが‘煙草とパン‘だったのだから、本人が嫌々であっても連れ出した時点で目的は半分以上達成していたと言える。

また、K君にも同じような同僚に対する心配があったのだろうし、私との無計画に過ぎる旅のスタイルには免疫が出来ている。基本的に車を運転して遠くに行くこと、知らないところを走るのが好きなのであって、モチベーションを多く望まない男なのだ。M嬢の幻滅と我々のよく言えば泰然自若、悪く言えば超無責任、現実に最も近い表現を使えば単なる能天気な「放置プレイ」への感想が、「旅に出たらいい」でも言及されていた。これが各人の温度差なのだ。

さて、旅はどうだったか。率直に言って最初からスケジュールがある程度遅延することは想定内であったが、私の読みの甘さはメキシコ州北部の一般道路の状態の悪さを考えていなかったことと、道路に縦横無尽に開いている穴の多さが半端でなかったことだ。私の提案した回り道はことごとく悪路で、いくらK君のスマートなドライビング・テクニックを持ってしても、田舎道の多すぎる凹凸は回避出来るものではなく大幅に時間を浪費してしまった。高速に出てからの豪雨も原因の1つとなった。

その間、M嬢は後部座席で退屈と日常的な睡眠不足の解消でもしてくれていれば良かったし、私はイーグルスの「Take it easy」をK君に聴かせ、無謀な計画や予想外の悪路すら気楽に楽しめばいいのだと、飛ばせないことで不満を表明するK君相手に「暖簾に腕押し」状態のマインドコントロールに終始しながらも、自分は好きな時に居眠りした。

テポツォトランとベルナルという2つのプエブロ・マヒコを訪ね、シティオス・デル・アルコ、ビジャ・デ・カルボン、タシィマイ湖、テキスキアパン、ケレタロなどを周った今回の旅だが、地方の広告主への挨拶も出来たし、お客さんに売れるところ、旅たびで紹介出来るところ、時期やアクセスの点で使えないことがわかったところの確認も出来たし、成り行きで楽しんでしまったチーズとワインのお祭りでは、たくさんワインを飲んで、たくさんのフレサな美女を見て、記憶を失くすほどにたくさん眠れた。翌日の計画などは、次の機会にお預けだ。旅は臨機応変さがないと面白くない。

M嬢がベルナルの街を気に入ったのは何よりであった。以前に来たことのある我々は、教会近くの小さなカフェテリアで、田舎のおばさんの作ってくれた冷たいフラプチーノの飲みながら、二日酔いとは別種のカキ氷を食べた時のキーンとする頭痛を楽しんだり、何もしないでボーっとする時間を楽しんだり、土産を買ったつもりで素焼きのベルナル灰皿を撮影しながら彼女が飽きるのを待っていた。やがて彼女は一人で街を歩いて戻って来た。色々と見て、店に入って、色々と買ったり、色々と写真を撮ってきたらしい。いい表情をしていた。天候にも恵まれていたのも好印象に繋がったのだろう。

M嬢は文中で郷土料理で当たりが出なかったことを残念がっていた。確かに旅の充実度はかなりアップしたと思うのけれど、前日に「一番」で久々のハンバーグステーキを食べたので私は満足してしまっていたのがあるし、K君はチラキレスさえあればいい男なのだ。これも1つの温度差だろう。

「たびたび旅にでたらいい」という小さな目標は我々だけでなく、読者の方にも時折思い出して戴きたく思う。メキシコには我々が知らないでいる良さがいくらでもあるだろうし、自分だけの良さ(=温度)を探す醍醐味もある。何よりリラックス出来ることが多いのだから…。

ワイン祭りで楽しい時間を過ごしたケレタロTEC大学の諸君、M嬢、K君に感謝。


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mc

メキシコで偶然出合った絶景・アルチチカ

メキシコにはあちこちで、いわゆる"絶景"を観ることができますが、なかでも忘れがたいのがAlchichica[アルチチカ]というラグーンです。偶然目の前に広がった、思いもよらない風景だったからかもしれません。サボテンだらけの荒野の中に突如現れた真っ白な岩に囲まれたライトブルーの湖。

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石灰岩の白が映える、それはそれは美しい風景です。なんでもネッシーみたいなのが出る、って噂があったり、海と通じる大きな穴が開いていて、何人も吸い込まれて亡くなった、という話しも聞きましたが…。

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水の透明さといったら!

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そしてこんな写真も撮れました。サボテンとヤギ(ですよね?)!

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実はこんな牧歌的な風景も広がっていたのです。ヤギがたくさん放牧されていて、ヤギ飼いの青年がおり、馬に乗った人が通り過ぎていく…。

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訪れたのは丁度去年の今頃ですが、こんなところで暮らす、ってどういう生活なんだろう…と思いをめぐらせました。毎日こんな絶景が眺められるのなら悪くなさそうですね。小さな家だけれど、この景色が全部見渡せる窓がある小部屋があって、そこで毎日本を読んで静かに暮らす…、なんてそんな優雅な想像をしてしまいました。

まだまだ秘蔵写真はあるのですが、このくらいにしておきます。


プエブラから北に109km、Perote方面へcarretera140を左のバイパスに。cuota 150 D.を過ぎたところにあります。ベラクルス州のハラパであった結婚式に行くために通った道ですが、思わず感動して車を止め、みんなで見入ってしまいました。

参考資料/http://www.mexicodesconocido.com.mx/notas/7221-Alchichica

写真・文/Mie

たびたび、旅に出たらいい

5月29日の金曜日の仕事帰りのこと。印刷所に原稿は入れて一段落できたものの、やっぱり疲れが取れなくて、すっごくささいなことで、糸がぷつんと切れて、よるの繁華街のど真ん中で大泣きした。

一度頭と心がいっぱいになると、もうコントロールできなくて、号泣、になった。声を出して大声で泣いて泣いて…。でも何とか、何とか元に戻れた。涙を止めた。そして、ずーーーっと食べたかった、胡桃とチーズにハチミツがかかったサラダを小さなイタリアンレストランに食べに行って、少しすっきりした。安物でもグラスワインを1杯飲んで、ラザニアもちょっと食べたらお腹が温かくなった。美味しい食べ物をきちんと食べる、というのはやっぱり大事なことだ、とぼんやりした頭で思った。

土曜の朝には上司と同僚と出かける予定だったけれど、もう支度する気力は無かったから、映画を観ながらとにかく何も考えずに、寝た。

掃除も洗濯もずっとできてなくて、そんな余裕もない自分が嫌だったけど、でもとにかく行かなくちゃ、と構えていた朝。楽しい旅行、というよりは、取材だ、仕事しなくちゃ、という気負いもあった。下調べをする時間も全然無かった。

だから、疲れがたまって、緊張してたせいか、何だか色々空周りした感じで始まった旅だった。

テポツソトランの大きな教会は逆光でうまく撮れなかったし、水道橋は思っていたよりも広すぎて、詰め込みすぎのスケジュールの中では、魅力を発見しきれず、その後に行った教会が沈んでいるはずのダム、バジェ・デ・カルボンは時期が悪くて、教会はぜんぜん沈んでなかったし、雨が降ってくすんだ町も冴えなかった。ケレタロでの日本食レストラン、「一番」で食べた魚の煮付けはとてもおいしかったけど、思ったより長居しすぎて、肝心の憧れの村、テキスキアパンで目的のワインとチーズのお祭りに着いたころは、もう暗く、村の様子もわからず、見たかった催しは全部終わってて、ホテルは一軒も空いてなかった。

散々飲んで食べて、ものすごく酔っ払って、宿を探すのに散々かかって、サン・フアン・デル・リオまで行ったのにまだ宿が見つからず、または満室で断られて、結局はケレタロまで戻ってわりといい値段がするホテルにやっと決めた頃はもう夜中2時半を回っていて、ただ倒れこむように寝た。次の日の朝に予定していた、一番行きたかったワイナリー巡りのツアーに参加するような時間にはやっぱり全然起きれなかった。

全然駄目じゃん、この旅は、という感じなのだけれど、連れの二人(上司と同僚)はあっけらかん、として、不満も特に言わずに淡々としていたし、実はたまに大声あげて笑ったりもした。特にテキスキアパンのフェリアで、メキシコ人の若者たちに絡まれて一緒に遊んだりした夜は、わけがわからなかったけど、でもやっぱり結構楽しかったんだ、と思う。

そして、そこそこ、ふかっとしたベットで、ゆっくり眠るとかなり優雅な気持ちになれる。その後は、もうこうなったら、テキスキアパンは次の機会に回して、こっちに行っちゃおう、とご飯を食べに行ったベルナル岩のある村がとっても良かった。もうこころとからだが、日常から離れて、旅、というエネルギーでリラックスできていたのかもしれない。

お腹をすかせて待ちに待った朝食は、急ぎすぎて選んだせいか外れだったけど(ついでに言えば昼食も)、村が、とってもアタリ、だった。かなり好み、でぞくぞくした。可愛くて綺麗で、いい程度に観光地化されていて、でもこじんまりとしている。ドアフェチの私が思わずレンズを向けたくなる、好みのドアもいっぱいあって、ひそかに興奮した。売っているものも、ウールで手の込んだものがかなり安い値段で買えるし、わりといい雑貨があって、だから思わずいっぱい買い物をしたのだ。岩には登らなかったけど、なんだか癒された。単純だなあ、と思うけれど、ヒーリングスポット、と言われるだけあるのかもしれない。気のせいかな。

かわいい、かわいい、と見てたら、上司がねずみのぬいぐるみを買ってくれた。 愛らしい顔の灰色のソイツは今はパソコンの画面の下にころん、と転がっている。名前はたびぃ、でいいか、と思う。

そして、夏らしく部屋を模様替えしたいから、と、青く染められた飾りの玉と写真立、そしておじぎ草の鉢植え、白いショールと黒いショール、そしていろんな鮮やかな色の石、羊のお乳でできた甘いお菓子、とかを細々したものをいっぱい買った。どれもとても安いけれど、こういう好み! 好き! というものにしょっちょう出会えるわけじゃないし、そしてちっちゃな幸せで包んでくれるものたちなのだ。こういうたやすい幸せを見つけられるのは、女の特権かもしれない、と思ったりもする。ばかばかしいようだけど。

自分で好きに動きたくなったりする私は、二人の旅の輪や時間を、時々やや乱しながら、いつの間にか楽しく過ごさせてもらったみたいだ。随分おごってもらったし、気も使ってもらったけど、私は使わなかった…し。

ああ、フェリアでケレタロ産の白ワインも買ったんだった。3本も。

その重たいワインはいつも同僚が持っててくれたし、女の私が、いろんなものバカみたいにたくさん時間をかけて買う間も、連れの二人は黙って待っててくれたし、おじぎ草と鉢は、お店のおじさんが合わせて20ペソ、という破格にしてくれた。

そういう小さな優しさと嬉しさが積み重なると、後で思い出してもなんだかほっこりする。



車で人に連れてってもらう旅は楽だし、自分以外のいろんな視点があっていいけれど、一人の旅の方が、気楽に好きなように回れて風景とかが心に染みるし、地元の人ともいっぱいしゃべるから、その土地を一番よく味わえる気がして好きなんだよ、ってひそかに思ってたりもしたけれど、でも一番疲れるのも一人の辛さ。ほっこりとした優しさはどこか足りないし、安心して、ぐーぐー車の中で寝ることもできない。

そして、その次の週末は、リベンジ! と思っていろいろ下調べは済ませて、テキスキアパンにワインとチーズ工房巡りに出かけた。寸前まで一人で行こう、と思っていたけれど、思い立って、年頃の女友達を誘った。女友達との旅は、なんだかんだでラッキーが多いし、買い物も楽しめるし、いろんな無駄話とか人生とか恋とか悩みとかの話がごちゃごちゃできたりとか、ある意味気楽で、そしてワイン工房巡りには結構合った。

やっぱり、たびたび、旅に出てみることって、だいじ。

こんなにも豊かな味がするんだ、出かけるたびに、どんな風にどんな旅行を、誰と行くかでも全然違う味がするんだ、って思う。

「月に一度は旅をしよう」ってのが今年の私の標語で、一度どころか、二度も三度もしたりしている。もちろん1泊とかそういう週末小旅行ばかりなんだけれど、知らない場所に行けるこの仕事に恵まれて、大きなエネルギーと幸福ももらってるのかもしれない。

いろんな優しさをかみ締めて、涙は出したいときに出して、それでもっと私も優しくなろう。

まだまだ知らない顔がいっぱいあるメキシコをちゃんと味わって、そして、そこでもらった優しさは、できるだけどこかで私も誰かにあげられるようにしよう。





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Tepotzotlanにて。教会でマリアッチが待機していて、でも横にいるグループは別だから…と不思議に思ってスケジュールを観にいったら、10時から結婚式、10時半からは洗礼式、11時からは初聖体と結構きちきちのスケジュールだった。

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花嫁が出てくるとマリアッチもはりきって、急ににぎやかになった。

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ここがTepotzotlanの水道橋。

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お弁当定食。ケレタロでもこんなに美味しい日本食が食べられるなんて。

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テキスキアパンのワインフェリア。もうみんな出来上がっている。

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アメリカ人もいますよ、という表示が付いたワインバーのブース。

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UFOが見えたりもする、という話もある一枚岩。凛とした美しさに圧倒される。

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羊のウールでできたねずみ達。一匹10ペソ。中にはちっちゃな石がぎっしり詰まって、ずしりとした重みがある。手のひらにしっくりくる大きさ。

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Peña de Bernalのある、鮮やかで美しいプエブロ・マヒコ。

写真・文/Mie

山猫日記8

山猫日記
2009/6/6                             
T.OKAWA
                                   
すでに日の出から1時間半ほどたっている。空は雲ひとつない青空だ。気温も30℃を超えている。ピューマにあうには、もっと早い時間に森に入らなければならないのだが、昨夜は金曜日ということもあり、山猫ならぬ野良猫のようにモンテレイの街をうろついていた。

二日酔いか寝不足なのか頭がボォーとしている。

ピナール山へ向かう登山道を歩いていると目の先にサッと黒いものがはしった。それは大きさが50センチぐらいの猫のような動物だ。もの音ひとつたてず森の中へ消えていった。あれは山猫だろうか?
ピナール山頂の管理棟にはチェボがいた。チピンケ自然公園に棲むというピューマのことを聞いてみた。チェボはみたことがなくて、めったに出あうことはないが、この森に棲んでいるという。

ぼくは登山道でみた猫のような動物を真似てみせ、何の動物か聞くと、チェボは山猫かもしれないという。ぼくは、山猫かぁと思いながら、なんだか嬉しくなった。

ピナール山の帰り、多くのハイカーとすれちがった。

オハヨーと挨拶すると、オハヨー・ゲンキ?と返ってくる。若い女性に満面の笑みでオッラーといわれると、そのはじけるような美しさに、まだ覚めやらぬ頭がくらっとなった。

前をいくイヤホンをした一人の女性に追いついた。後ろから驚かさないようにオッラーと声をかけると、彼女もオッラーと笑顔が返ってきた。ぼくは思わず話しかけていた。

どうして音楽を聴きながら歩いているの? ここには生命にあふれた森の音があるよ。

森はセミの声につつまれ、それに混じって小鳥のさえずりが聴こえる。ミソサザイも美しい声で鳴いている。

彼女はイヤホンを外し、音楽じゃないの…わたしカトリックなの といって左手の人指し指につけられたロサリオ・リングを親指につけてみせた。

彼女は そうね、みんな生きているわね と森の声に耳をかたむけた。

ぼくはふと15年ほど前に買ったエルンスト・ハースの 天地創造 という写真集を思い出した。それは聖書に書かれた7日間の出来事を写真で表現したものだった。そして、聖書について何も知らないなと思いながら また、会いましょう といって彼女とわかれた。

ぼくは昨晩の愚行を懺悔しながらピナール山をあとにした。

次号7月号の特集は…ワイン!

今日でついに2万アクセス。初めてからもうあと1ヶ月半で2年なので、それほど多い数字ではないものの、更新数も少ないので、ありがたいことです。

さて、次号7月号の巻頭特集のテーマはメキシコワインです!

メキシコワイン、と聞いてもぴんと来る人はそういないでしょう。
日本にもそれほど輸出されていないし、種類もそう豊富ではありません。
でもだからこそ! メキシコでしか飲めない! と思うと興味そそられませんか?

これから7,8,9月とブドウの収穫シーズン、ワイン祭がたくさんあります。ワイナリーを訪問するのにとっても楽しい季節の到来です。

メキシコシティからは2時間ちょっとのテキスキアパンのワインとチーズのフェリアに行き(2週続けて!)、ワイナリーツアーに参加し、ホテルのワインバーの試飲会に行き…、研究と称して毎日のように呑んだくれています。

安価で、思ったよりも様々な種類があるメキシコワイン、普段気軽に飲むにはピッタリのワインがたくさんあるのです。

ケレタロのワイナリーで味わった、80ペソくらいで買えるスパークリングワインが本当に美味しかった!

そして、ポートワイン!! メキシコ産があるなんて!! 早速近くの酒屋に行って、見つけたので買っちゃいましたが、なんと85ペソの安さです。シェリー酒もあるそうです!!

試飲会で、ワインって本当に簡単に幸せになれて、私をすぐに幸せにしてくれるのがいいところなのよね、って言ったら、皆大笑い。同席してたワイン大好きのおばちゃんに、あなたいいわねー、最高、愛してる(Te amo)!! って言われちゃいました。そう、コミュニケーションが活発になるのもいいところ。今日も会社の近所でランチしてたら、隣に坐った男性が話しかけてきたので、ワインについて聞いてみたら、いろいろなベーシックな知識も教えてくれて、勉強になりました。そう、本当はランチにも1杯くらいならいいんじゃないかな、って思います。

皆さんもお薦めのメキシコワインがあったら教えてくださいね!

メキシコシティ文化フェアーのお知らせ

6月6日より14日まで、メキシコシティ・レフォルマ通りで、メキシコ市主催、各国大使館他協力のFeria de las Culturas Amigasが開催されています。各国の様々な展示や催し物を無料で楽しむことができますので、ぜひお立ち寄りください!

●公演情報
場所:Puerta de Leones仮設舞台(IMSS横、チャプルテペック公園入り口)

日本主催イベント
■伝統音楽
[KASOUKAI]
12日(金)16:00~

■柔道、合気道、剣道、空手の演武
13日(土)12:00~

■フュージョン、現代音楽
[SABURO LIDA]
13日(土)12:00~

■和太鼓・琉球太鼓
WADAIKO DEKOROSO Y RYUKYDAIKO Tambores japoneses]
14日(日)11:00~

※その他各国からのイベントスケジュールはコチラ(スペイン語)で。

●展示情報(6月6日-14日)
■日墨友好写真展(場所:レフォルマ歩道、Cine Latina前近辺)
昨年秋の120周年での展示を再現しています。 
■日本風景写真展
場所:レフォルマ歩道(Hフォーシーズンズ~IMSS近辺) 
文科省国費留学生OBによる日本の風景写真展です。

■食の展示[Gastronomia](6月6日-14日、12:00頃~17:00頃)  
日本食ブース
場所:レフォルマ通りのテント内(レストラン・アンダーソンズ前) 

●映画上映情報
『時をかける少女』他1本  
6月14日、10:00~
場所:映画上映テント(レフォルマ通り、Hフォーシーズンス~IMSS前)

※日程、展示場所は直前に変更される可能性もありますので、予めご承知下さい。

メキシコの扉に恋する旅、4

San Miguel de Allendeという街のドアや窓を紹介してきたこのシリーズも今回でおしまい。
黄色い壁のものばかりを集めてみました。

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もう使われていないんじゃないかと心配したくなるほど古ぼけた木製のドア。南京錠で外から鍵をかけています。
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まぶしいくらい鮮やかな黄色の壁に映える窓。

SanMigueldeAllende07feb09_09
細長いドアの向こうでは様々な雑貨やアクセサリーがきちんと並べられて売られています。

SanMigueldeAllende07feb09_10
こちらも大好きな色。ちょこんと並べられた花も愛らしく。奥では女の子が二人坐ってなにやらおしゃべりに夢中です。ステキなアクセサリーがたくさん売られていました。
◇Tabi Tabi TOYO4月号No.45、P24で紹介

こうやって、何かテーマを決めて写真を撮ったり、好きなものを探す旅も楽しいものですね。

写真・文/Mie

タイルの家の物語その4

前回、ビベロ伯爵がスペイン王に宛てた報告文に、徳川家康を“Emperador Taikosama”と記していたことについて、家康がなぜ、「太閤様」になってしまったのか推測してみた。今回は、「将軍」家康が、“Emperador”(皇帝又は天皇)になった訳を考えてみたい。


まず、思いつくのは、ビベロ伯爵が天皇の存在を知らされず、最高権力者家康を、ヨーロッパ式に“Emperador”という称号で呼んだのではないか、という考えである。ところが、史実は違っていた。ビベロ伯爵は2年近く日本に滞在していたが、その間、公式行事に来賓として招かれ、天皇と家康の両者を同時に見ていたのである。当然、天皇の存在を知っていたし、かつ、家康が常に、天皇の一歩後ろに居たことも見逃さなかった。それを知りながら、あえて将軍家康を“Emperador”と呼んだのはなぜであろうか。これはどうも、スペインのお国の事情によるらしい。当時のスペイン史をひもとくと、スペイン王の父王は、カルロス一世であり、彼は同時に神聖ローマ皇帝カルロス五世でもあった。父王は死に際し、神聖ローマ皇帝の座を、弟のフェルナンド一世に、スペイン王を息子のフェリッペ二世に譲った。皇帝は諸国の王をまとめ、その上に立つ者という意味があり、これからすると、王より皇帝の方が上位になるが、皇帝には、王のように血縁ではなく、選ばれてなった者という別の意味もある。例えば、古代ローマ帝国の五賢帝(トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝など)は、世襲はなく、実力で選ばれて皇帝の座につき、又、ナポレオンは砲兵連隊より身を起こしたが、フランス王ではなく、最後はフランス「皇帝」になっている。


「王」が血による継承で、“Emperador”が実力による選出だとしたら、家康は“Emperador”ということになるのであろう。クエルナバカの大聖堂壁画の“EMPERADOR TAICOSAMA”(皇帝・太閤様)は、まさに、豊臣秀吉にふさわしい呼び方だったのである。


その上、ビベロ伯爵には、「王」の方を「皇帝」より上位にしておきたい理由があった。まず、彼が仕えているのはスペイン王であり、皇帝ではなかった。もし、日本の天皇を文字通り“Emperador”にし、家康を「王」にしたのでは、スペイン王が下位になってしまう。天皇に「王」をあて、家康を“Emperador”にすることにより、スペイン王が皇帝より上であることを伝えたかったのではないだろうか。


しかし、それでも、まだ、疑問は残る。家康の正式敬称は「将軍」、つまり“Capitan general”である。なぜ、この正式名を使わなかったのか。実は知らなかったからではなかった。


現に、日本と取り交わした文書には“Shogun”と書かれている。しかし、軍部の長を意味する「将軍」では、家康の偉大さをスペイン王に予測させるのは不可能と感じ、日本に対しては、“Shogun”を、スペイン王向けには“Emperador”という使い分けをしたと思われる。

いつの時代でも、敬称の付け方は難しいが、特に文化の異なる国の敬称付けは、生やさしいものではないようだ。ビベロ伯爵も、頭を痛めた末、家康を“Emperador Taikosama”と呼んだのであろうか。

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つづく

著者/田中都紀代、UNAM大学

河畔に緑の石の街、午後のヤシュチラン 年末合宿旅行 ③

三日目
ホテルで朝食。朝食メニューはオーソドックスな卵料理か、地方色のあるメニューの数種類のセットから選ぶ。個人的にバイキングが好きではない無精者の自分にはこうした形式のほうがありがたい。人によっては「マヤのバイアグラ」と呼んだりもする土地の薬草チピリンの入ったタマル(メキシコ風ちまき)やコーヒーとパパイヤのセットを頼む。私の隣で「ウエボ・コン・サルチーチャ」(ソーセージ入りスクランブルエッグ)を頼んだNZ君だったが、運ばれて来たのは、単なるスクランブルエッグで、ソーセージのソの字も入っていない。何かの間違いではと、NZ君が店員に「私の頼んだソーセージは?」とクレームを出す。対応にウェイタ-が持ってきたのは、ソーセージ1本を半分に開いたものを焙っただけの貧相な小皿である。「なんですかコレちょっと」と誰にともなく呟きながら記念撮影するNZ君であった。


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午前8時半、チェックアウトも済ませ、不要な荷物はホテルに預け、307号線を約150km一路フロンテーラ・コロサルを目指す。道の状態は思いのほか悪くない。牧歌的な景観の中をドライブ。隣接のタバスコ州に比べ山が格段に多い。緑豊かな丘陵地帯では放牧されたこぶ牛が長閑に草を食み、集落の出入口に敷設されたトペ(スピード緩和の為の段差)の度に、近所の子供達が果物を捧げて駆け寄って来る。ここで、思い出したのは敬愛するベテランガイドSS氏から聞いた長寿村の話だ。パレンケからフロンテーラ・コロサルまでの村の中で、年齢百歳以上の老人が十数人居て、みんな元気に畑仕事をしている村があるそうだ。村の名前まで訊いておかなかったのが悔やまれるが、訪ねてみたところで逆に何をしていいかわからないというのもある…。


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途中には軍の検問、移民局の検問などが多く設置されているが、パレンケからフロンテーラへ向かう車両は関心がないようで、往路は検問を受けることがなかった。復路では移民局2回、軍1回、司法警察1回と、4回の検問を受けた。無用な時間のロスを避ける為にもパスポート、ビザの携帯が不可欠。NZ君だけは、「お前はメキシコ人ではないのか?」「日本人のビザに後から写真を貼ったのではないのか?」等、執拗に難癖をつけられている。少し前「人は見た目が9割」(新潮新書、竹内一郎著)という本が日本でベストセラーになったが、NZ君の見た目は確かに日本人離れしていて、オルメカ巨石人頭像を小ぶりにして愛嬌を加えたような感じとも言えなくない。何でも某TV番組内の「日本人に見えないコンテスト」という企画で2位になった過去があるらしい。見た目であらぬ嫌疑を掛けられるNZ君ではあるが、彼は全うな会社員であり、色んな意味で話題に事欠かない旅の良き道連れだ。

トペの多さで走行距離以上に時間がかかりながらも、やがてフロンテーラ・コロサルに到着。村の入口には管理事務所のような小屋があり、係員に一人15ペソ(x 5人分)を請求される。ここの管理費のように筋が通っていれば支払うことに疑問はない。しかし、チアパスでは時折、筋の通らないお金がかかる。アグアアスールの滝付近にはロープで道を塞いで、車が通過する度に45ペソのカンパを徴収するサパティスタ民族解放軍のシンパがいる。我々は誰の見方でも敵でもない部外者かも知れないが、部外者だからこそ払わなければ通らせないという強硬な手段に好感が持てない。子供達もこんな大人のマネをしてロープで車を止めて物乞いをしたり、物を売りつけようとしたりと、悪影響すら出ているのだ。彼らの信念や活動に異論はないけれど、ロープで道を止めての強引な資金集めは釈然としない。


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フロンテーラ・コロサルに入ると、やがてパハロ・ハグアルⅣというエコツアーサービス事務所の前を通る。エコツアーと言っても、もっぱらヤシュチラン遺跡へのアクセス用の船のチャーターをする組織で、《船頭の組合》のような感じである。船のチャーターは基本的に往復で、ヤシチュラン遺跡での見学時間は約1時間とされているが、交渉可能のようであり、時間制限は厳格そうではない。船頭はガイド業務をする訳ではないので、見学が終わるまで船で待っているという形になる。人数により1隻のチャーター料金がきちんと表にされていて、明朗会計なので交渉の面倒がない。

1-2人の場合 650ペソ/3-4人の場合 780ペソ/5-8人の場合 950ペソ/9-13人の場合 1300ペソ。チャーター代は前述の様(2008年12月末)になっており、我々は950ペソを支払った。たまたま3人ぐらいで来ている個人客が同乗すれば割安になる訳で、それが美しい3姉妹であったりすれば申し分ないが、そんなに都合よく出来ていないのが世の常。観光客の大半はパレンケ村の旅行会社主催の乗り合いツアーの利用者で、駐車場にもツーリストナンバーの車両に比べて、個人の車両は少なかった。我々の船頭を担当する若者ナタリシオ君を車に乗せ船着場へ移動する。


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使用料2ペソのトイレを済ませ、河原への坂を降りていくと、目前にウスマシンタ川が広がる。船着場の正面は中洲になっている為、目の前にグァテマラがあるかのように映るが、実際には川幅はかなり広く、流れもゆるやか。この川こそメソアメリカの古代文明の母とも言え、メキシコのナイル川であり、黄河であり、チグリス・ユーフラテスであると言っても過言ではあるまい。メキシコシティから約1000km…。遠くに来た実感。しばし河畔に佇み、グァテマラをバックにIG君の記念撮影などする。

対岸の少し下流にはグァテマラ側の船着場が見え、荷物や人が運ばれている。河原ではプリミティブな民芸品を売っているが意外にも強気な値段がついていて興ざめする。10名前後乗れる細長いタイプの船には簡素な屋根とYAMAHAの船外機が着いている。ライフジャケットを着けさせられ、水量豊富で水深もかなりありそうに見える薄いグリーンのゆったりとした流れに乗って、ヤシュチラン目指して川を下っていく。両岸の緑と空の青さ、川面の照り返しが目に眩しい。野田知祐がカヌーでも漕いでいたら絵になりそうだ。


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川船の旅はベネズエラのギアナ高地、カナイマから世界一の落差を誇るエンジェル・フォールを見にアウヤンテプイへ行った時のカラオ川以来だ。ジャングルの中を流れる黒い川。水分中のタンニン濃度の強い濃い茶色にも黒にも見える流れは、日差しの加減で紅茶や琥珀のような輝きを放つ。ツアー中は高い湿度と濃い酸素を全身に浴び、時折滝や川の清涼な水に浸かる、大自然の中で自分が元気になってくるのが実感出来るリラックスした旅だった。「アルグン・ディア・エン・カナイマ…」(何時かまたカナイマで会いましょう…)。ツアー内に喫煙者がスペイン人3人+私しか居なかったことから親しくなったスペイン女性の一人が言った、映画の台詞のような別れの言葉を思い出す。日本からのお客様に「中南米で行った中で何処が良かったですか?マチュピチュですか?」などとご質問戴くことがあるが、そんな時には今でも「場所という意味ではギアナ高地が一番よかったです」と応えてしまう。何時かあの場所に戻る日が来るのだろうか…。どうか来て欲しいと思う。

約50分後ヤシュチランに到着。ナタリシオ君は先客達を待つ船の間に器用に割り込んでいく。河原からの階段を登ると、すぐに高い木立の熱帯雨林に入る。ヤシチュラン遺跡管理事務所があり、パレンケやテオティワカンといったメジャー遺跡よりほんの少し安い入場料一人46ペソを支払い、一雨降った後のような湿った地面を踏みしめながら、鬱蒼と茂るジャングルに歩を進める。こんな古代宗教都市を発見した者は、きっと興奮に打ち震えたのではないか。


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最初に訪れたのは、EDIFICIO19(建造物19号)というピラミッドと背の低い神殿風の複合建築。LABERINTO(迷宮)とも呼ばれているらしく、ヤシュチラン遺跡内でもっとも手の込んだ建築らしい。8世紀中頃の建築というから、パハロ・ハグアルⅣ世の統治下に建設されている。そういえば船頭組合会社の名前は、この王様の名前を使っているのだ。この「緑の石の場所」が最も繁栄したのはエスクード・ハグアルⅡ世とパハロ・ハグアルⅣ世が統治した7世紀中半から8世紀にかけてであり、なんでも地域一帯を支配下に置き、カラクムルやティカルといった都市と交流していたのだそうだ。パハロ・ハグアル(鳥と豹)なんていう可愛いのか強そうなのかわかり難いネーミングのやり手な王様だったのだ。

さて、大きな建造物19には中間の低くなった層に幾つか入口があって中に入っていける。迷宮の名の通り、マヤの擬似アーチを持つ幾つもの小部屋に分かれていて、通路は狭く真っ暗だ。行き止まりの部屋、先が続いていそうだけれど、登っていったら何もない階段などが入り組んでいる。懐中電灯や携帯電話のライトを点けると、天井には沢山の小さな蝙蝠がぶら下がっていて気味が悪い。ちなみに、同僚M嬢は少女時代に傷ついた蝙蝠を看病したという心温まるエピソードを持っているが、私には羽根のあるネズミといった分類の苦手な動物でしかない。


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外からの明りを頼りに階段を登ると、19号建築物正面に広がるグランプラザ(大広場)に出て来る。遺跡の北側はウスマシンタ川に至る段丘であり、木立の開けた場所からは対岸のグァテマラ側が望める。苔むした遺跡に成長したエア・プラントが繁殖し、崩れた石の間から奔放に植物が茂っていることから、遺跡に余り手が入っていない(過剰な復元や観光化がされていない)ことが容易に想像出来る。前日に訪れた満員札止め状態にも近い大盛況のパレンケ遺跡と違い、ヤシュチランでは船着場に十数隻の船が舫ってあったとは言え、強い日差しに照らされた密林にポッカリ拓けた遺跡内に散見出来る訪問者の数は格段に少ない。パレンケがK1としたら、さしずめヤシュチランは旧UWFぐらいである。


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グランプラザには小規模な球戯場があり、中央に吹き曝しの状態で置かれている浮き彫りはほとんど判読出来ない丸いレリーフがある。何でもこの遺跡の重要性は、神殿などの入口の梁の部分に使われたまぐさ石(ティカルなど木を使用する遺跡も多い)に施されたレリーフに多く残されたマヤ文字や当時の儀式の様子が、マヤ文字解読に重要な役割を果たしたとの説もある程で、遺跡の至るところに残る石碑にもヤマの神官や儀式、様々な象形文字を見ることが出来る。
ただし、考古学なんて高尚な学問と無縁な我ら中年軍団は「おー立派!!凄いなぁ」で終ってしまうのだった。

グランプラザの南東にグラン・アクロポリスと呼ばれる建築群がある。大きな都市の中心部だったのであろう、見学可能な場所だけでもかなりの広さだ。きちんと見学するには1時間やそこらでは絶対に収まらない。加えて、グラン・アクロポリスの入口にあたるEDIFICIO33(建造物33号)へ続く急で長い石段が圧巻で、建造物33号へ続く階段を登るかどうかは躊躇する人もいるだろう。ヤシュチラン遺跡は河岸段丘にある為に幾つかの建造物は丘の上に位置していてグラン・アクロポリスも丘の上に密林を背景に建てられている。幅の狭い石の階段を見上げるだけで眩暈にも似た感覚が生じるが、結局好奇心には勝てず登ってしまう。丘の途中にも建築が残っているが、立ち寄らずに頂上を目指した。


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建造物33号にはパハロ・ハグアルⅣ世の像が収められている。残念なことに胴体と首から上が割れてしまった様で、胴体の横に首から上、顔と羽飾り部分がチョコンと置かれている。基壇部分にもユニークな浮き彫りが保存状態良好で残っている。ドイツ語のガイドさんが何かしきりに説明し、彼のお客さんたちも熱心に聞き入っているのがほほえましい。母国語ガイド付きツアーは絶対に楽しいはずだ。後から登ってくる仲間達がやけに小さく見える。先にある建造物も見たい気もしたが時間が全く足りない。階段を降りた右手にある建造物21号へ向かう。


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建造物21号は写真撮影にフラッシュ禁止とされている神殿で、中にはオリジナルの彩色が残った浮き彫りと、その前に右手に動物の頭部頭を乗っけて、左手で洗面器を抱えたような横向きのマヤの神官のステラ(石碑)があった。足元にはマヤ文字が沢山彫られている。素人目には国立人類学博物館にあっても不思議でない保存状態に見える。遺跡管理のおっさんのヤシュチラン自慢を聴いているうちにSN君はじめ、仲間たちが長い石段を降りてきていた。そろそろ戻る時間なのだ。


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かくも短き訪問ではあったが、ヤシチュランはまだまだ秘境を旅する感覚を随所に残す魅力的な遺跡だし、人にも物にも南北の格差が一見して感じられない(メキシコとグァテマラの国力の差は本来歴然と違うけれど)ウスマシンタ川の無防備でのんびりした国境は、レイノサやラレードでリオ・グランデを見慣れたモンテレイ在住の仲間たちにとっても新鮮だったのではないだろうか。、

我々の船は川を下って来る時には他の船に追い抜かれたりしていたが、川を上っていく時には抜群の加速を発揮した。先行していた日帰りツアー客を乗せた船をかわしながら、途中小雨のぱらつく中、1時間弱で実に7隻を抜き去った。同じ日にビジャエルモッサまで戻る予定の我々には早く着くのは有難いこともあって、ナタリシオ君に心づけをはずみ、かつてヤシュチランの交易と繁栄を助けた密林の大河ウスマシンタに別れを告げた。


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昼食にはエスクード・ハグアルというパハロ・ハグアル王の前の王様の名がついた宿泊施設内のレストランで摂った。ここのメニューは田舎ゆえにお手軽なものしかないのだが、ご当地風の名前を付けて出している。定番のポージョ・パレンケはじめ、ビステック・ウスマシンタだとか、ソパ・ヤシュチランだとかネーミングだけは頑張っている。私の注文した、モーレ・チアパネコ(チアパス風モーレ)は一風変わっていて、甘くてカカオはほとんど使われていないハヤシ風のソース。本当にチアパスのモーレがこうなのかは疑問ではあるが、強い甘味は人間が甘い私には調度良い。

ヤシュチランからパレンケへ戻り、ホテルに預けた荷物を受け取って、夜の街道をビジャエルモッサへ戻る。2日前に宿泊したクオリティ・インの隣、カリンダ・ビバ・ビジャエルモッサに宿を取った。クオリティ・インより若干格上に見えるが、料金は若干安い上に朝食付なのがうれしい。年末に飛び込みでホテルに入るのは今回が最後。あとの2泊は一応予約を入れてある。

この日の晩は無茶苦茶な雨が降ったのと時間も遅めだったので、夕食までの散策はなし。車でレストランへ移動する。2日前にシーフードを食べた店の対面に高級そうなステーキ屋があったので、旅の中日にスタミナをつけるべく、美味い肉でもという趣向である。店名「EL BIFE」と同じビフェ・デ・チョリソの300gを頼んだ。専門店だけあってまずまずの内容だし、空腹でもあったのか以外にも完食。仲間たちもニューヨークだのリブアイだのをきれいに平らげていた。5人で2千500ペソを越えるお勘定は、今回の旅の中で最も高くついたが、それなりの満足度はあったし、何故か店内で喫煙出来るのが不思議だった(他のお客さんも普通にみんな吸っている)が、店がかなり広いので、中央にある入口から右手は全て喫煙、左は全て禁煙となり、完全に分煙されていた。そんな事に感心しながら豪雨の中をホテルへ戻り、三日目が終了。


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パレンケ再訪 2008年度年末合宿旅行 ②

二日目
朝食はホテル内のレストラン「ラ・イスラ」にてバイキング。ここではタマル(メキシコ風ちまき)が2種類あるのが特徴的だった。1つはこの旅行中にお馴染みになっていくタマル・デ・チピリンと、もう1つはタマル・デ・マサ・コラーダというものだった。チピリンはメキシコ南部から中米に分布する豆科の植物で、スープに入れたり食用に使われる野菜だと聞いていたが、マサ・デ・コラーダは見当もつかず、ウェイターに正体を訊いてみた。中には豚肉が入っているらしいが、その大いなる特徴はサイズだった。通常タマルのサイズの3倍ほどもあった。ビジャ・デ・ファレスのタマル・ボラチョに似た豚肉タマルで、ボラチョの倍は厚みがあり味もまずまずだった。食べ物に限らず旅行は未知のものに出会えるのが楽しい。


タマル


ビジャエルモッサ市内から空港方面に向かい186号線に乗りパレンケへ。午前中到着予定でまずはホテルへ荷物を入れて観光することにした。年末連休中のパレンケで唯一2部屋予約出来たのがベスト・ウェスタン・マヤ・パレンケ。ただし、このホテルも希望の2連泊は空き状況が許さず、確保出来たのは2部屋1泊だけ。パレンケ空室状況に合わせて全体の行程を調整するという手間がかかったが、私やSN君と違って、普段わがままどころか自分の希望さえ口にしない80君が、珍しく希望したパレンケ行きであれば優先順位は落とせないのだ。従来シンプルなベスト・ウェスタン系列として見ても、後からフランチャイズ化したと思われる簡素なつくりで、4階建てにエレベーターすら完備していない。小一時間のことだが突然全館の水が止まるハプニングもあった。それでも3人部屋に簡易ベッドをきちんと用意してくれていたし、従業員の感じも良かった。場所は186号線から右折した199号線がパレンケに入る三叉路、アビアクサ航空の尾翼でお馴染みのパカル王の彫刻のあるロ-タリーに面する判り易いところ。遺跡へのアクセスもビジャエルモッサ方面へ戻るにも都合がいい。我々はチェックイン前、チェックアウト後にも大きな荷物はホテルへ預けておくことが出来た。


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今回の合宿の目的地であるパレンケ遺跡を見に行く。パレンケ遺跡と国立公園は1987年メキシコで最初に世界遺産に登録されている(同じ年にシアン・カーン自然保護区、テオティワカン古代都市、メキシコ歴史地区+ソチミルコ、オアハカ歴史地区+モンテアルバン遺跡、プエブラ歴史地区の計6箇所が世界遺産となった)。パレンケはマヤ古典期後期から後古典期前期(紀元後700-1000年)に繁栄した都市で、密林の静寂の中、背景の深い緑に白い建築物が良く映える人気の遺跡だけに、年末休暇の時期、駐車場は満車状態らしく、遺跡の入口まで2-3キロ手前から路上駐車する車両多数。これから見学に向かう人たちがゾロゾロ歩いている。


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車を停める適当な場所を探しているうちに遺跡入口まで行ってしまったが、運よく最も近い駐車場に1台入れるスペースが空いたようで、親切な駐車係のアンチャンが呼んでくれたお陰で体力と時間を浪費せずに済む。車から降りると物売りの少女たちがマヤ文字の入った首飾りを手に駆け寄って来た。お土産に1つ10ペソで購入し、入場券(48ペソ)も人数分購入。幸先良く見学を開始。林の中を少し歩くと景色が開けて遺跡が見えてくる。


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こんなに多くの人で溢れるパレンケははじめてだった。安全の為に登ることが禁止されている「碑銘の神殿」以外は、人が居ないところがないくらいに活況を呈している。今回のパレンケ行き計画は80君の希望ではじまったのだが、彼が一番見たいものは残念ながら現地にはない。パレンケ宇宙人説の元である「パカル王の石棺の蓋」に施されたレリーフである。これはあたかも宇宙船を操縦しているかのようなマヤ人が彫られた石盤で、碑銘の神殿の地下に埋葬されていたパカル王の棺の蓋である。考古学よりミステリー好きを惹きつけるパレンケ宇宙人説は、実際には生命の木をデザインしたマヤの世界観を現しているのが定説とされても尚、「ロマンがあっていいのでは」と罪のない虚説と看做されていて、石棺やパカル王の装飾品のオリジナルはメキシコシティの国立人類学博物館に展示・保管されている。


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今回のパレンケはいかにも人出が多く、気持ちのいい滝のある小道など人混みで降りていけないし、人が入らないように写真撮影する為には場所探しが大変だ。日陰で休むにも多くの先客がベンチを占有し、「葉の十字神殿」などにも長蛇の列。比較的見学に空いているのは中央の「宮殿」と呼ばれる大きな建築物で、ここには4層構造の天文台が残っている。「碑銘の神殿」の写真撮影にはいい位置だが、今では天文台に登ることも禁じられている。昔を知っている分、一大観光地となって秘境ムードがなくなったパレンケに対し、勝手な話しだが少し興ざめしてしまったし、仲間たちを効率よく案内出来なかったのが残念だった。その後で訪れたミソルハーの滝、アグアアスールでも同じ感想を持った。パレンケは相変わらず神秘的で、アグアアスールは相変わらず美しい。パレンケ周辺のスポットは確かにジャングルの中に存在している…。けれど、もう立派に確立され、整備された観光地であり秘境でもなんでもないのだ。


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約15年前、サパティスタの蜂起から10日後にパレンケやアグアアスールの現状を調べて日本の大手旅行会社に安全かどうかをレポートする為、誰一人居ないパレンケに同僚H君と来たことがあった。ゲリラなんて影も形も無く、数日前に付近で戦闘があったなどと思えない、拍子抜けするほど平和で、美しく、静謐なパレンケの佇まいに魅了されたものだ。メキシコで楽しい時を共に過したH君も不慮の事故で他界してしまって久しい。懐かしい友人との旅が遠い記憶から甦る。違う時期にパレンケへ来ていたら、もっと楽しめたかも知れないし、もっと感傷的になったかも知れない。卓上舞踊にも、旅行にもタイミングは重要ということだ。


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パレンケ観光を終えて、付近のレストランで昼食にペヘ・ラガルトを食べてみた。鰐のような顔の古代魚だ。我々MTY中年軍団の旅では「その土地の名物」を食すことも旅の課題の1つであり、今回の旅ではこの古代魚の試食も重要な目的となっていたのだ。まずは生きているペヘと、これから丸焼きになるペヘの現物を見せてもらった。凶悪そうだが、若干愛嬌もある面構えで、鱗は細かく堅そうだ。試食なので、1匹をみんなで取り分けることにしたが、川魚1匹で150ペソは恐らく観光客向けの料金設定なのであろう。メキシコでは魚を食べない人が多いが、こんなに高ければ肉を選ぶ人が多くて当然に思えてくる。さて、気になるペヘ・ラガルトの味だが、これといって特徴のない川魚の味と言っていいのではないか、風貌や独特な骨格にそぐわない意外に淡白なあっさり系。特別美味という訳でもない。みんなが興味を失って別途頼んでおいた焼肉盛り合わせなどつついている間も、NG君だけは理科の実験のようにいつまでもペヘを解剖して楽しんでいた。恐らく今回不参加の海老博士のかわりにマニアックな一面を垣間見せていたのだろう。


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ペヘ2


記憶の中のパレンケ村は今ではすっかり町になり、町への入口には日産のディーラーがあったり、真新しいホテルなども散見出来る。簡素ながらバスターミナルもきちんとしたし、近くにはコンビニ風のストアもある。到着日の夕食は広場に面したテラスのレストランまで歩いた。目の前のソカロ広場では、年末のイベントであろう軽快なクンビアが大音響で流れ、多くの人が演奏を見物したり、踊ったり、談笑したりしている。俗化の象徴のように観光用2階バスが通り行くハイシーズンの田舎町は、幾分落ち着きがなく、浮かれて、華やいで見える。イベントは突然の雨で人々が雲散霧消してしまうまで続いた。サンタクロースの人形やイルミネーションが灯る南国の夜。季節感のギャップを実感しつつ、食事を終えた我々も粒の大きな暖かい雨に打たれながらぶらぶらとホテルへ戻った。


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